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【詩とエッセイ】  祝 藤井聡太棋聖 4編 (3行短文)

成しとげ たことの 大きさ に涙
藤井が 棋聖に じゅうな なさいで
藤井は いつもの 笑顔で 会見


羽折る おとなの ニュースを 聞きつつ
藤井の ちちはは の強さ を思う
我が子を 認める 違って いいよと


藤井の しらせの 感動 広がる
こどもに おとなに わたしに あなたに
信じる 力を 飛び込む 勇気を


好きだと 言うから 没頭 させてた
藤井さ んの母 の強さ に泣ける
違って いること だれかと 比べず 

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藤井聡太棋聖、おめでとうございます。


タイトルを手にしたというニュースを読んで、すぐに思った。おめでとうございます。すごいすごい本当に取ったんだ。声に出た。数年前にフィーバーが始まった頃から、陰ながら応援していた彼の、自分の夢であることのひとつがかなったのを見るのは、私も幸せな気持ちになる。

棋聖獲得のニュースの記事を読みながら、私は泣けてきてしかたがなかった。知り合いの子供ではない。関係のある地域でもない。ただのファンとして。ただの誰かの親として。元若者として。


藤井さんがフィーバーになった頃から、私はしばらくは、毎日のようにニュースでその記事を追っていた。彼のする一局一局の勝ちの知らせが、小気味よくて、毎日追うのが楽しみになった。将棋を知らないではないが、特に興味もなかった私が、はじめてネットで、彼が指す将棋を観戦さえした。(将棋の待ち時間があんなに長いことを知らず、3時間くらいで、寝てしまったが。)連勝が止まらなければいいのにと思っていた。彼を研究し尽くして、にらむような目で前日の試合に座り、とうとう彼に勝ち、連勝記録を止めてしまった棋士が、憎く思えるほどだった。

高校進学はどうするのだろうかと気になっていた。お母さんが高校は卒業してほしいと言っているという記事も読んだ。高校に行ったということを知り、ああ、行ったんだなと思った。羽生さんが、自分も高校を出たと言う話も、その頃どこかで読んだ。

藤井さんは、自分で決めないといけないことがたくさんあった。そして、自分で決めてきた。

私が一番印象深い、ニュースで読んだ話は、子供の時、将棋盤の前にだけ座りたがる子供を、彼のお母さんが、そうさせておいたという話だ。外に遊びに行くわけでもない、他の子と何かを一緒にするわけでもない、そういう息子を、そのまま好きなことに没頭させてやった。息子が好きなことに、好きなことだけに夢中になるのを、彼のおかあさんは、彼に許してやったのだ。そして、自分にも許した。課した、と言ったほうがいいのだろうか。お母さん自身に、ときどきはあったであろう、その決断にたいする迷いとか、ふとしたときに感じる疑問とかに、ゆるがされないことを。

私は、マンガ「3月のライオン」も読んだし、その映画も2本ともみた。「聖の青春」という将棋映画で、マツケン演じるところの村山聖という棋士の人生も知った。そういう作品を通して、羽生さんを思わせるような棋士や、いろいろな実在の人物を重ねたのであろうと思われる棋士たちや、棋士のまわりの人たちのことも知った。 

将棋指しと言われる人たちは、私には全然関係ないところで、私に全然関係ないことをしていた。その人たちが、私の知ることもないところで、これほどまでにも、命をかけて、命を削って、勝負をしているということに、感動した。そして、どれほどその勝負の世界が、厳しいのかということに。藤井さんが、歴代名人加藤一二三さんを、引退に追い込んだことが、数年前にあったように。ランクを勝ち上がるには、十分な条件がいることに。そして、条件を満たさなければランクが落ち、ランクを満たす条件が続かなければ、たとえ、加藤さんのような、歴史も記録も実力もある棋士でさえ、その仕事場に、棋士として、いさせてもらうことはできないことに。 

何という職場だろう。何という仕事だろう。何という人生だろう。

それを、14歳で選びとる藤井さん。もちろん加藤一二三さんやほかの、早熟と言われた人たちもみな。最初私は、14歳で、のニュースを聞いたとき、天才の出現にも震えたし、その人が、どこまでわかってやってるのかとの疑問もあった。14歳と言う年齢を考えると、やってみて、いくらでも後でやり直しができるからかな、と思うと、納得もできる気もした。

だが、その14歳の彼の示す、覚悟も気概も自信も矜持も、人並みのものではなかった。私が想像できるようなことではなかった。高校にも進学し、そして対局にも通い、全く順調というわけではないが、勝ち進む。私は、高校生をしながら、自分の仕事に真摯に向き合う彼に、親としてとか、いたわりの気持ちで励ますと言うのではなく、ただ尊敬の念を感じた。

彼は、マンガ「3月のライオン」の話のように、高校生でタイトルホルダーになった。でも、その主人公とは違うことがたくさんある。彼は、小さい頃から、家族やまわりの人の、多くの愛を受け、それをしっかり感じながら育ったと思う。自分の息子が、たとえ、それが天才的な資質を持つことに気づいていたからだとしても、私は、他の子と違うことを、ずっと認め、違うことを許してきた、彼の家の人たちに、感心する。そして、この棋士のファンとして、ただありがたいと思う。「羽を折る」と言う表現を聞くようになって久しいが、この人は、その真逆を体現している。

昔は、私は、何かに優勝するとかで、何ごとかを成しとげた人たちが、親にお礼を言うのを不思議だと思っていた時期がある。もちろん、育ててくれた恩義はあるのだろうが、でも、たとえばバイオリンなり、相撲なり、できるようになったのは、結局は自分が、その技術を磨くことを努力したからではないか。私自身も、親に感謝はする、何かうまくいくと。やはり、もともとは、私の子供時代や、家庭環境のおかげだったといつも思う。でも、外でしか身につけられない、親が助けたわけでもない技術を磨くことは、親とは関係ないと思っていた。

もちろん、藤井さんの場合は、まだ実家にも住み、いろいろな面で直接世話になっているということもある。でも、私が一時期思っていたことは、やっぱり正しくないと、今ははっきり思う。いろいろなことを成しとげた人や成しとげなかった人が、そうであるように、藤井さんのまわりにいたお母さんなりお父さんなりが、今の彼を可能にする、元を作った。彼の場合は、その羽を折らないことで。

私は、何に感動しているのだろう。何に、涙が止まらないのだろう。



藤井さん、優勝おめでとうございます。あなたが、たとえ棋聖になっていなくても、少なくとも今回ならなかったのだとしても、私があなたを天才と崇める気持ちに変わりはありません。でも、あなたが成しとげたいと思っていたことの一つを、こうして、実際にやりとげ、達成感を味わい、手に入れることができたことが、はたから見るだけなのですが、とてもうれしく思います。

そして、藤井さんのまわりで、藤井さんを藤井さんにすることを助けてあげた、まわりの人たち。まわりの大人たち。私はたぶん、その人たちに、一番感動しているのだと思います。

ありがとう。こんな天才と、同じ時代にいさせてもらえることが、ただうれしいです。私は、運がいいと思います。

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3行短文 理昭さん 提唱(名人)   しめじさん 企画(挑戦者)


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