見出し画像

【エッセイ】 今年の誕生日プレゼント

私の今の家族は、私の誕生日を忘れる。結婚して20年たつ連れ合いが、私の誕生日を覚えていたのは、どう思い出しても、3回はない。いつも、よくて次の日、ひどい時には一週間ぐらいして、思い出す。そして、謝って、おめでとうと言う。

私は、誕生日プレゼントはいらないと言ってあるし、ほかのプレゼントシーズン、たとえばクリスマスやバレンダインデーでも、何か買ったりしなくていいと言ってある。財布を共にする家計で、勝手に物を買われるのは私はいやだし、せっかくお金を出すなら、私は自分が本当に気にいるものがほしい。



私は誕生日が7月の末なので、子供の時から、誕生日祝いは、家族でだけだった。5月生まれの兄は、毎年、昼ごはんと大きなケーキのある、誕生会をした。私も、台所で簡単な支度をする母を何度も手伝ったことがある。

私の誕生会をしないのは、母の言い分では、夏休みなので、友達を呼ぶのは、それぞれの都合もあって難しい、ということだった。確かに、わが家では、私の誕生日の頃が、いつも父が夏休み休暇をとり、何日か泊まりがけでの家族旅行をする時だった。それが大阪万博だったときもあるし、富士登山だった時もある。みやげで買う、日付が入れられる記念メダルには、たいてい私の誕生日前後の月日が刻まれていた。

だから私は、母の言い分に不満はなかった。自分がそうなので、ほかのうちも、そうやって何日も旅行して家をあけているのだろうくらいにしか思っていなかった。旅行やお盆休み以外は、だれかれの、学校の友達と遊んでいたのだが。

誕生会がないのは納得していたが、私の不満は、ケーキがないことだった。兄の誕生会では、母は、いつも、どちらかというと大きめの、豪華なケーキを用意した。あとで知ったことだが、兄の同級生は派手な家が多くて、合わせていたのだそうだ。私の誕生日を、家族は祝ってはくれる。みんなで乾杯もするし、それが旅行中なら、特別なおみやげを買ったりもさせてくれた。

でも、旅行していない年の誕生日でも、ケーキは出てこない。私は、自宅で迎えた誕生日のある年、その不満を母にはっきり伝えた。母は、でも、いつもケーキのかわりに、スイカを食べるじゃないかと言う。スイカは、誕生日でなくても食べるものだ。ケーキは、特別な日用だ。私の誕生日は兄のほど、特別じゃないのか。母は、ふふんと笑って答える。
「あんたの誕生日は、暑い時じゃが。誰も、ケーキやこ、食べとうねえわあ。」



私は、誕生日を祝われないのに慣れている。中高で、部活動や補習授業で、夏にも登校するようになって、毎年、同級生にプレゼントをもらったり、当日におめでとうと言ってもらったりする経験はした。でも、私は自分の誕生日が、目立たず過ぎていくのがきらいではない。特に、自分の年令にやや抵抗を感じ出してからは、誰にも、誕生日を話題にされずに一年が過ぎるのはいいなと思っている。

でも、所帯を持った相手が、私の誕生日を、毎年毎年忘れるのには、辟易した。最初の頃こそ、いいよ、私、誕生会してもらったこともないし、気がつかれないの、慣れてるから、とか、いいよー、誕生日に凝りがないし、私、と言っていたが、それが続けて4回にも5回にもなると、腹がたって悲しくなってくる。私が拘泥するのは、米国育ちの彼が、それでも、自分の母や妹の誕生日は、大抵きちんと覚えているからでもある。

4年前に、この町でできた、同い年のおかあさん友達に、私が誕生会を一度もしたことがない話をした。彼女は、私をかわいそうに思ったようで、その年、誕生会をしてくれた。いつも7月4日の独立記念日に、彼女の家でする花火大会に行くと、happy birthday のアルファベットで作った、紙のかざりがあった。彼女は、私を知らない人にも促して、みんなで乾杯してくれた。彼女のおかげで、私は、当日が誕生日のアメリカ合衆国といっしょに、その年の私の誕生日を祝った。

その彼女が、次の年、8月のはじめに、何組かのカップルで夕食に行こうと誘ってくれた。私の誕生日は過ぎていたが、彼女は、花とカードを渡してくれた。みんな、てんでにすわり、私の連れ合いは彼女の隣にいた。連れ合いに話しかける彼女の声が聞こえた。「で、ヤスコの誕生日に、何か特別なことしたの?」少し離れた席で、緊張しなくてもいい私が緊張する。連れ合いの声。「いや、特には。」「でも、なにかしたんでしょ。」「まあ、それなりには。」うそばっかり。あんたは、今年も忘れていた。もう8月だよ。

帰りの車に乗りこんで、連れ合いは、しばらくその話題にふれなかった。ようやく、忘れててごめん、と言う。罪悪感でいっぱいだったらしい。いいよ、と私は言う。私、どうでもいいから、誕生日なんか。

自分は実は、誕生日を気にするのを知って、毎年こんなふうに腹をたてる日になるのもいやだなあと思った。私は、誕生日を覚えてくれてるとか祝ってくれるとか、そんなあまっちょろいことは、本気でどうでもいいのだ。いちばん私好みなのは、それでも、パートナーは、覚えてくれている。私は、「いいのに、そんなこと、どうでも。」と言うシナリオだ。

たぶん、いつかそうなるかなと思って、20年たった。私は、1年の何日もそんなことにこだわっているわけではないけど、毎年自分の誕生日前後、合わせて3日から一週間も、イライラするのは止めねば、と思った。ロジカルシンキングというはやりの言葉をもとに、目指すことをまとめて、対策を考えた。

成しとげたいこと: 当日に「誕生日おめでとう」と家族から聞く。
かかわる人物: 連れ合い。できればでいいが、子供らも。(父親に似て、というか、父親が忘れるので、彼らも忘れてしまう、毎年。)
手段や他の希望: 特になし。どんな形でも。ロマンチックにとか、盛大に、という希望はまったくなし。

私が考えた解決策は、前もってこちらがサインを送ること。ミーティングや締め切りについて、メールでリマインダーが来るように。そういえば、連れ合いは、コンピューターのカレンダー機能も使っているので、1回は、それで当日セーフになった年がある。でも、たいていのいろいろなことにぼんやりしているので、その時だけだ。

それで、私は、自分の誕生日の一週間くらい前から、「来週のこの日は、何の日?おかあさんの誕生日!」とか、「7月28日はなんの日でしょう?」とか、毎日やった。前日はしなかった。効果を見るためだ。そして、その作戦は大成功だった。


     *     *     *


ところが、今年は、先に誕生日プレゼントをもらってしまった。物をもらったのではない。下の子がすすめるアニメ番組のシリーズを、最後までいっしょに見たのだ。

アメリカの子供向けテレビ会社が作った、「アバター伝説の少年アン(原題:Avatar The Last Airbender)」という番組で、今はネットフリックスで見られる。下の子の友達でもハマっている子が多く、同じエピソードでも、2回でも3回でも見ているほど、面白いらしい。下の子が、私たちにも、見るのをすすめてくるので、家族みんなで見た。そしたら、大ハマりした。みんな。特に私が。

7月半ばに、全シリーズを見終えた。最後のエピソードは、4連発で見て、みんなで堪能し、涙し、感動した。上の子は、見終わったあと、ほかのことをする気になれないから、ちょっと歩いてくると、夜の近所の散歩に出たくらいだ。私はというと、その日のベストシーンを、ずっと頭の中で反芻していた。

準主役の一人の若い男(某国の後継の王子)と、その叔父(その若い男の父の兄、本来なら君主)にあたる人のシーンだ。叔父を裏切り、その上、牢屋にぶちこむようなことをした若者は、今では改心している。叔父は、知恵あり技あり勇気ありの人で、脱獄して逃げおおせる。若者は、やっと叔父がいるところをさがしあてる。許しを乞おうと、寝ている叔父が起きるのを待っている。

目がさめた叔父は、起き上がるが、若者の方を振り返らない。若者は、声を絞り出すように、謝罪や後悔の言葉を口にする。怒っているにちがいない、自分がしたひどいことの数々を考えると、でも、おじさん、ぼくは、と、言葉をようようとつなぐ若者。その時、おじさんの体がサッと、大きく動く。おじさんは、若者をしっかりと抱きしめていた。そして、怒っていた時などない、と言う。ただ、正しい道から、またずれてしまったお前が心配だった、と。

ふたりの登場人物の目から、ハラハラと涙が。そして、その時、部屋では私が、エプロンをハンカチがわりに、声を殺して(今日は、声をたててはいけない、とみんなで約束したので)大泣きしていた。

そのおじさんは、アイロという名前で、若者からは、おじさん、と呼ばれる。私は、冗談でなくて、アイロになろうと思った。年をとっていく私のロールモデルに会った気がした。

私は、少なくとも過去25年間は、年をとった時に、そうでありたい自分のイメージを持っていた。仙人だ。何かをするからでなく、ただいるだけで尊敬されるような存在。富や地位や名声とは無縁で。でも、その感動シーンを見た時、私は、年をとった時の自分の理想が、仙人から、アイロに、すっかりすげかわったと、言葉で思った。

冗談で、とか、またまた、笑わそうと思って、と言われるかもしれない。たしかに、こんなことを、ほかの人に、特に子供の友達の親ごさんなどに、補足説明もなしに聞かれたら、たぶんみんなに誤解されるか、アブナイ大人の烙印をおされるような気がする。では、補足説明を。

アイロが、私の理想の、年をとった自分がそうありたいイメージである理由。キーワードは3つ。ゆとり、ゆるす、ゆずる。

1 ゆとり
 アイロは、以前は、強力な国の元首だった。弟に国をのっとられてから、自分の父に追放された甥を庇護しながら、旅をしている。アイロは、怒ることがない。あせる甥に、いつも茶をすすめ、急ぐ甥を尻目に、温泉につかりに行く。夢は、自分の茶店を持つこと。動きも、やや緩慢で、からだも緩慢。ゆとりの体現者のたたずまい。

2 ゆるす
 上に書いたように、アイロは、自分を手ひどく裏切り、牢にまで入れた甥を、許す。許すというより、最初から、腹もたてていない。傷ついた心を持つ若い甥が、道をはずれたことだけを嘆く。しかし、アイロは、万人にそうではなくて、たとえば、無慈悲な役人とか、自分の弟にあたる今の暴君を、罰することや征伐することにためらいはない。この人が許すのは、まだ責任感や勇気を身につける途上の若者たちだけだ。

3 ゆずる
 彼は、本来なら、国の元首のはずだった。その彼から元首の座を奪い取って専制君主となった、悪者代表の今の王を、誰かが征伐して、よりよい世界をつくりなおしてくれることは、万人の願いだ。甥は、それをアイロに託したい。悪者の自分の父を抑え、そして、国民が待ち望む徳政の王になってほしい。できるのは彼しかいないと。でも、アイロは、それは、自分の役割ではないという。甥を、そして、主人公の少年の名前をあげ、それをするのは、おまえたちだと言う。若いお前たちが、新しい、よりよい世界を作っていく、そうでなくてはいけない、と言う。


私は、ここに、老人かくあるべし、の姿勢を見た。アイロの場合、知力的にも体力的にも、もちろん精神的にも可能なのだ。鬼退治に行き、征伐し、自分が主君に返り咲くのは。でも、彼はそのチャンスを譲った、若い世代に。信じてはいるけど、力量としては自分に比するまでにはなっていないと知っていても。彼は、自分が受けることのできる栄光を、若い世代に譲るのだ。自分の役目は補佐だと。

熱くなった。でも、これで、私が、ただおもしろおかしくするために、アイロの名前を出したのでないことも、アイロのすばらしさも、わかってもらえたと思う。



さて、誕生日プレゼントに戻るが、私は、このアニメシリーズを見たことが、半月後に、また一つ年を重ねる私への、一番の誕生日プレゼントになった。そう下の子にも伝え、礼を言った。

ありがとう。あんたのおかげで、おかあさんのロールモデルが見つかった。おかあさんは、これからも、若くはならずに年をとるだけだけど、いつかアイロのような人になれるようにがんばるわ。

下の子は、目を見開くようにして、いたずらそうにきらきらさせた。自分の母の、いつもとあまり変わらないといえば変わらない、ちょっと変な発言を、それでも、うんうんと聞いている。彼も、前日見た、最終エピソードの余韻が、まだ抜けていない。

「だから、誕生日プレゼントは、もうもらったから。あんたから。ありがとう。おかあさんがもらった一番の誕生日のお祝いだよ、今までで。」

だまって聞いていた下の子が、私に似たふざけた声をだす。
「ほんと?えっ、じゃあ、いいの? 今年は誕生日忘れても?」

私は、アイロに教えを授かった。もう今年の誕生日プレゼントをもらった。

私は子どもに答える、おばさんのアニメ声で。自分の誕生日には、こんなふうに言いたいと思ってきた通りに。そして、アイロのように。

あたりまえだ、おかあさんは、そんなことはなんにも気にしない、と。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?