休職の振り返り②

こんにちは。

前回の記事でほとんど記載してしまったな、と気が付きましたが、
改めて休職のきっかけを振り返っていきます。

休職のきっかけ

  • 努力不足

理想像が不明確のため、身に着けたい力がわからない、
なのに今できていない力を伸ばす努力を怠った。
はい、完全に自分の甘えですね。

ハチャメチャな努力をしなくても業務を回せるようになっていたので、
努力する必要性を感じない、何を努力したらいいのかわからない状態。
ロジカルシンキングや仮説思考など、巷でいうビジネススキルを
ガンガン使うような業務ではなかったので、育む必要性を感じなかった。
だから、「何を身に着けて何ができるようになりたいのか」が、
分からない・そもそもなかった。

「こうなってください」「これができるようになってください」といったものや、理想像の人がいなかったので、追いかける物がなくて、
永遠と今の業務をこなしたその先には何があるのか、
何か漠然としていて不安・心配・焦燥感を抱いた。

また、英語力に関しても「別に話さなくていいか」と甘えていた。
会議で上手く話せないことがあっても、落ち込むけど勉強しなかった。
仕事を終えると、勉強なんてしたいと思わなかった。

  • 板挟みの立場へのストレス

徐々に自分の担当の地域が決まっていき、最終的には全地域の状況や各地域からの要望を社内の定期会議にて代表して発言する立場に。
うまく会議が進むときもあれば、難航するときがあった。
難航するときは、「そんなことできません。いつも海外販売は無理なことを言ってくる、断れないのか」と言われ、険悪なムードに。
私は、ただ「すみませんが、よろしくお願いします」の姿勢を貫き、
裏では現地と交渉し、妥協できないか同時進行で交渉をしていた。
だが、どちらも引き下がらないことが多かった。
板挟みの立場はもう仕方がない・割り切ろうと思い、仕事を進めていた。

「なぜ私ばっかり責められるのか」「なぜ周りの人は何も言わないのか」「なぜ私が矢面に立つのか」「みんながやりたくないことを私ばかりがやっている」という考えが蓄積された。

こちらから他部門に依頼しても「できません」と跳ね返されることもあり、
そこでねばることが無意味だと思うようになった。
(これまでは、「そこをなんとか」「~という方法でできないか?」と
粘ることもあったが。最後の方は粘ることがストレスになった)

また、「できない」と言われることにむかつくことがありましたが、
仮に「出来ない出来ない言い続けていたら、給料もボーナスも出ませんよ」と反論すると、皆から生意気だと思われてしまうのではと思い、
皆からの評価を下げたくないと思い、反論しなかった。
また、相手の状況がよく理解できるので反論しないときもあった。
私が現地から無理な要求をされて「ちょっと無理だわ、
現実的に考えてよ」と思うことがよくあり、他部門の方も同じような気持ちなのかな、と想像すると、「申し訳ない、しんどいだろうなぁ」と思った。

  • 人任せ主義なムードとそれに飲み込まれる自分

次項に書く「スピード感の欠如」とも似た内容になると思うが、
「人任せ・なるべくやりたくない」という空気感が蔓延していた。

同僚へ問い合わせるべき内容が私に問い合わされ、それにたまたま対応したことがきっかけで、その後ずっと私に問い合わせが来るようになった。
それに対して同僚に、「これは本来あなたの仕事ですよ」と、
言うことが出来なかった。「焼き鳥ぶらり」が今後も対応してくれるだろう、という甘えがあったと思う。
そういった人任せ・誰かがやるだろうという空気感がストレスになり、
また、「本来はあなたの仕事でしょ」と人任せな気持ちが湧いてくる自分にも嫌気がさした。

「あなたの仕事ですよ」と言えないのは、
人に仕事を押し付ける、自分のことばかり考える人間だと思われたくないからだと思う。人に良く思われたい、という八方美人な下心があった。
万人から好かれることなんてないのに、自分に対してマイナスなイメージを持たれると傷つくので自分を守ることに必死だった。

また、言い出しっぺが責任もって実行するような空気感があった。
だから何か提案・意見することは、新たに業務を引き受ける、
押し付けられるので、「損だ」という空気感が常態化していた。
なのでややこしい問題も誰も根本的解決をしようと動かなかった。
見て見ぬふり。

  • スピード感の欠如

とあるプロジェクトの中心者として進行を管理していた。
しかし、他部署のタスクにかなり時間がかかっている様子で、
その遅さにイライラした(私ってイライラしがちだな)。

状況はどうなっているのか、こちらから問い合わせをしないと、
情報提供してくれず、タイムリーな情報が全く見えなかった。
なかなか完了しないことで、私の業務や管理の手間がかかり、
かなり複雑だったのでその複雑さがある中で、ミスしないように
管理・確認することがプレッシャーでもあり、ストレスだった。
(中途半端な状態に対しかなりストレスを感じる性格だと思う。)

こんなに進捗が遅いのは、「やりたくない」「私が若手だから優先順位を下げられているのか」という考えが膨れ上がり、社内の人間に呆れを抱く。
「進捗が遅いようですがどうなっていますか?」と確認することもできたと思うが、こちらから催促しすぎると、「生意気・無礼」と思われるのが嫌だったので、進捗が遅いことに対して何も言わなかった。
協力してくれている人に対し、そういった態度をとると今後の業務に影響が出るかなと思い、私はいい人ぶることをやめられなかった。

私が管理することでしかこの仕事は回らないんだ、と責任の重さと、
「みんなやる気がないのならこんなことしなければよかった」と後悔した。
どう考えても会社として実行して正解なプロジェクトだったのに、
協力的でない姿を見て「やらなければよかった」と思う自分にも失望。

  • しわ寄せ業務の多発

とある国向けの対応を初期からきちんと体制を整えていなかったので、
問題多発。その都度対処していたが、頻度が多かった。
最終的に、1つの国の中で複数の確認事項がある中、進めることに限界がきてしまった。
この先もずっと、こんなに責任もって確認・管理しないといけないのか、
と思うと気が遠くなった。

また、確認を徹底していた自分がまさかミスするなんて、というショックもあった。ミスしてしまったことで私の無能さがばれてしまったと思った。
と同時に、「みんなが目を背けてきたことが明るみに出て、たまたま私が担当していた時にミスをしたことで、私に改革させようとしている」と想像した。なんてずるい人ばかりなんだろう、とイライラした。

この先も、上の世代の人が目を背けていたことに対して問題が発生し、
その都度、若手にしわ寄せがくるのか、と思うと耐えられなくなった。
もう何も嫌になり、この事件によって糸がぷつんと切れて休職した。

以上です。
私も完ぺき主義、被害妄想しすぎだったと思います。

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