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「ありたいすがた」をみつけたら
キャリア観について書き連ねています。母校の大学生/大学院生に向けてお話しする機会をいただきまして、そのときの内容をもとにしています。
前回はこちらの記事を紹介して、「やりたいこと」と「ありたいすがた」という対比についてお話ししました。
「やりたいこと」タイプはゆめとか目標とか理想に対して「ちかづいている感」が幸せになります。
(中略)
一方、「ありたいすがた」タイプは、自分の価値観の「満たされている度」がしあわせです。そして、それがずっと続いていったらいいな、と思っている。
『やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話』より
「やりたいこと」がみつからなくて、もしくは、(無理やり)みつけてはみたけどなんだかしっくりこない、という人はとても多いです。そういう人にとって、自分が「ありたいすがた」タイプだと気づくことは、大きな前進です。
ただし、その気付きというのは、自分の「理想」を描くうえでの一歩です。理想が成就されるのは、「現実」という場においてです。理想と現実の間には、いつも葛藤があります。「ありたいすがた」タイプの人が、自分の理想を夢想に終わらせずに、現実というキャンバスの上で絵を描くためには、「理想と現実のはざま」に目を向ける必要があります。
とはいえ、世の中は「やりたいこと」で動いている
今まで「ありたいすがた」を紹介してきたわりには身も蓋もない言い方かもしれませんが、世の中(組織)は「やりたいこと」ベースで動いています。
自分が上司として部下の目標設定をする場面を想像するとそれはよくわかると思います。
目標設定面談やキャリア面談などで、上司が部下の物語を引き出そうとするときの常套句は「どんなことをやっていきたい?」です。「ありたいすがた」の人にとっては、「またか」という言葉が頭をよぎる、困った問いですね。なぜ上司がこういう問いを投げるのか(投げざるを得ないのか)を考えてみてほしいのです。
まず、前提として、上司は部下の理想を叶えたいと思っている、と仮定してください。それが上司という人としての「本心」からなのか、あるいは上司としての「役割」からなのかは、どちらでもよいです。大切なのは、「上司は、部下に対して、前向きに向き合ってくれている」という物語を、部下の側が心に描くことです。
部下の理想を叶えたいと思っている上司にとって、残念ながら、差し伸べられる手というのは実はあまり多くないのです。仮に部下の物語が引き出されたとして、その物語を成就させるために上司が差し伸べられる手というのは、「仕事(機会)を渡す」「その仕事(機会)がうまくいくように手助けする(指導/育成)」ことしかありません。
仕事における物語というのは、仕事の中でしか成就できません。だから、上司はどんな仕事を渡すのかを考えます。そして渡した仕事の中で部下が物語を成就する(仕事で成果を出す)ことを手助けしようとします。もっと正確に言うと、上司にはそれしかできないのです。
さて、そんな丸腰の上司にとって、「ありたいすがた」タイプであるあなたの心からの物語として
愛する人といること、ライブで盛り上がること、友だちとバカな空想を夜更けまで議論すること
『やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話』より
といった「ありたいこと」が、面談の場で開陳された景色を想像してみてください。
上司の無力感たるや、いかほどでしょうか。この無力感は、上司のやる気や能力のせいではなく、上司という役割の限界から導かれる必然です。
上司にできることは、「仕事(機会)を渡す」「その仕事(機会)がうまくいくように手助けする(指導/育成)」だけです。そんな上司にとって、あなたの「ありたいすがた」に直結する仕事は、ないのです。
余談ですが、「上司が手を差し伸べられるか」という同じ理由から、「とくにありません」「なんでもいいです」も悪手です。こう言われると上司は、「どんな仕事を渡したらいいのか」という問いを考えるためのヒントが得られません。上司は部下に向かって「やる気がない」「考えが浅い」などと言って(上から)指導するような素振りを見せますが、実は困っているのです。「やりたいこと」がみつからないと、あなたが困っているのと同じように。
橋を架ける
自分は「ありたいすがた」タイプだ、と気づくことは「理想のなか」の話しとしては大きな前進です。と同時に、「理想と現実のはざま」のそれとしては、あともう一歩。
伝わるでしょうか。私は「あなたもありたい人だよね、だから目標を持たなくてもいいんだよ」って言ってるわけじゃない。
ありたいひとは、「どうなったら幸せか」を定義できれば、実は「やりたいこと」を定義することだって、できるんです。
だって、自分がしあわせになって、それがずっと続いていくためには、何かをしなくちゃいけないハズ。じゃあ、そこで生まれた「なにか」を「目標」という言葉に置き換えてあげればいい。そのとき、ありたいひとたちであるぼくらは、「ありたい思考」と「やりたい思考」のあいだを、自由に飛び回ることができるはずです。
『やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話』より
理想と現実のあいだに橋を架ける。これを日々の仕事の場面に置き換えれば、上司と部下のあいだに橋を架ける。「ありたいすがた」のあなたは、自分の「ありたいすがた」を「やりたいこと」に翻訳する必要があります。
仕事における物語というのは、仕事の中でしか成就しないからです。
翻訳の様子は、少し長いですがこちらの引用を読んでみてください。
ところで、ふしぎなことに気づきました。それは、やりたいひとたちの「目標」は、ありたいひとたちの「ツール」であるということです。
やりたいひとたちは「これがやりたい!」という目標をもっています。
一方、ありたいひとたちの(最終)目標は「しあわせであること」なんですよね。そして、それを達成するために「やりたいこと」という目標を生み出している。だからありたいひとたちにとって、「やりたいこと」は、しあわせになるための単なる手段にすぎないんですよね。
例を使って説明してみますね。
「やりたいAさん」がいたとします。その人のやりたいことが「切り絵を作ること」だったとしたら、彼にとって、ツールははさみです。
さて、隣に「ありたいBさん」がいたとします。その人のありたい状態は「人に喜んでもらっているのを実感できること」。そしたら、「切り絵を作ること」は、人に喜んでもらうための「手段」ですよね。
AさんとBさんを外側から一緒にみたら、「やっていること」は同じに見えるでしょう。だってふたりとも、たしかに同じように切り絵を作っている。
でも、ありたいBさんは、実は「切り絵を作っている」んじゃない。「人に喜んでもらおうとしている」のです。だからBさんは、実は切り絵だけにこだわる必要はない。喜んでもらえるのであれば、料理をつくるでも、歌をうたうとかでもいいんです。
ある人にとっては目標であることが、ある人にとっては単なるツールにすぎない。なんだか不思議だと思いませんか?
『やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話』より
この翻訳が簡単なことだとは思いません。「ありたいすがた」タイプであるあなたが、無理やり「やりたいこと」を探していたときと同じくらい、頭を悩ませるかもしれません。でもそれは、「ちゃんとどこかにつながっている」悩みです。腹を決めて悩んでほしいと思います。
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今回含め4回にわたって、(これが正解、という意味ではなく、少なくとも私はこう感じる、という意味での)キャリア観を紹介してきました。
はじめから絵を描ききる必要はないけど、一方で、なにかしらの絵筆は手に持たなくてはいけない。
『絵は描けなくても、絵筆は手に取る』より
「自分の物語は、自分で紡ぐしかない」とも言えますが、私はこの言い方に少なからず脅迫性を感じて好きになれないので、「自分で紡いだ物語ならば、それが自分の物語」という、若干トートロジーな言い方をよく使います。
『あなたの物語が、あなたの背中を押してくれる』より
「やりたいこと」にまつわる悩みというのは、2種類あります。「やりたいこと」ができないという、理想と現実のはざまでの悩み。その手前の「やりたいこと」がみつからないという、現実とは関係ない、理想の中での悩み。
多くの人が後者の悩みを抱えているというのが、私の実感です。その人達にとって、「やりたいこと」「ありたいすがた」という区別は福音たりえるのではないでしょうか。
『「やりたいこと」がみつからない』より
これまでのお話しを踏まえて、次回は「キャリア・デザイン」という言葉に対して、私が日頃感じてる違和感について書いてみようと思います。キャリアについての悩みの多くは、キャリアを「デザインする(できる)もの」と考えているからではないだろうか、というお話しです。
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