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子どもの時に刷り込まれるけど、大人になったらアンラーンしたほうがいい3つのこと

僕は仕事柄、たとえば新人研修のように、学生からビジネスパーソンへの変化の瞬間に立ち会うことが多い。

どうやったら彼らがビジネスパーソンへとスムーズに変わっていけるか。いわゆる新卒入社者のオンボーディングを突き詰めて考えていくと、「学生時代の当たり前」のうちのいくつかが、ビジネスパーソンへの変化を阻害しているのではと感じるようになった。

多くのビジネスパーソンがアンラーンしきれていない3つのこと

それが、この3つだ。

  1. 自分がしてほしくないことは相手にしてはいけない

  2. 友達100人できるかな

  3. 起承転結

どれも、子どもの時から、親や先生をはじめとする周囲の大人に何度も何度も言われたことではないだろうか。ちなみに「起承転結」は、文字通り文章の書き方として、国語の時間に習うあれのことだ。

この3つは、冒頭で書いたように、僕が「学生がビジネスパーソンに変わっていく瞬間」をたくさん目にする過程で、自分の中で意識化されていった。だけど、いったんこの3つに気づいた後は、実は「学生がビジネスパーソンに変わっていく瞬間」に限らず、多くのビジネスパーソンにとって、アンラーンしきれていない事柄なのでは、と感じるようになった。コミュニケーションや人間関係や文章力について悩んでいるビジネスパーソンの話を聞いていると、この3つをアンラーンしきれていないことが遠因だと感じることが多い。

無用な誤解を生まないために先に断っておくと、この3つそれ自体に問題があるわけではない。学生のうちにはこれらを身につけることは大切だ。問題なのは、学生からビジネスパーソンへと環境が変化したのにあわせて、過去の学びを適切にアンラーンしきれていないということだ。

1. 自分がしてほしくないことは相手にしてはいけない

これは、学生のさらに手前、保育園/幼稚園といった物心ついたころからずっと言われ続ける言葉だろう。この言葉を通して、人は他者との関わりを学ぶ。お友達を叩いてしまったり、おもちゃを貸してあげなかったときに、保育園/幼稚園の先生がこう言っている場面が浮かぶ。

この言葉は、馬鹿正直に字義通り解釈すると、「自己と他者は、快不快を感じる基準が同じである」という前提に立っている。同じ基準で快不快を感じるので、自己にとって不快なことは、他者にとっても不快なんだよ。だから、自分がしてほしくないことを、相手にしてはいけないよ、というロジックだ。つまり、「みんな同じ」という、「環境の同質性」を前提にしている。

この前提とロジックは、たしかに、子どもが「はじめて」他者との関わりを学ぶ過程においては重要だし有効だ。しかし、学生からビジネスパーソンへの変化という「人として二度目に」他者との関わりを学ぶ(学び直す)上ではどうだろう。学生からビジネスパーソンへの変化は、顧客や上司や同僚(≠友達)という、「異質との出会い」であるとも言える。教える側であるこちらも、「学生ノリの関係性とは違う」としきりに伝える(脅す)ではないか。

そう、大人における他者との関わりは、「相手は自分とは違うかもしれない」という、「かもしれない」を起点にする。「かもしれない」からこそ、相手の意向をよく聞く。つまり、コミュニケーションが生まれる。

ところが、大人になってもこの教訓をアンラーンしきれていないと、「相手は自分とは違うかもしれない」という、異質を前提とした態度やコミュニケーションが取れない。今風に言えばダイバーシティ&インクルージョンになるのかもしれないが、そんな大風呂敷を広げなくても、昔から、日頃の他者との関わりにおける問題の遠因というのは、子どもの時から刷り込まれたこの教訓なのではないだろうか。

2. 友達100人できるかな

2つ目のこの言葉は、小学校に上がるときに、あのメロディーとともに耳にし始めるだろうか。親も「友達できた?」としきりに聞く(聞かずにはいられない)。こうして、「友達がたくさんできること」「どんな人とも友だちになれること」が是として刷り込まれていく。

しかし、この教訓が、人間関係に悩む大人を増やすことにつながっているのではと感じる。そう感じるようになったきっかけは、この台詞を目にした時だった。

「まあ、そのうち気付くわよ。大人になるってことは、近づいたり離れたりを繰り返して、お互いがあまり傷つかずにすむ距離を、見つけ出すってことに」

『新世紀エヴァンゲリオン 3話 鳴らない、電話』

僕自身は見てないのだが、エヴァ好きの同僚から職場の人間関係の悩みについて相談されたときに、「仕事のつきあいなんだから、仕事だけちゃんとできるよう振る舞いさえすれば、仲良くなろうとしなくてもいいんじゃない?」みたいなことを言った。それを聞いた彼が「ああ、エヴァでもそんなこと言ってたわ」と紹介してくれたのが、この台詞を知ったきっかけだ。

大人になってこの教訓をアンラーンできていないと、そりゃ苦しいだろう。1つ目の教訓にも通じるが、異質(≒他者)との付き合い方、距離のとり方を見誤ることが、大人の人間関係の悩みだと思う。だからこそ、『嫌われる勇気』に救われる人が(僕を含めて)たくさんいるのだろう。

ちなみに『嫌われる勇気』は、そのタイトルから「人間関係の悩みを解消するためには、自分勝手に生きればよいのだ」と誤解している人が多い。こういう露悪的な自暴自棄を教唆するような誤解が多く生まれるということ自体が、人間関係に悩み疲れている大人が多いなによりの証拠だと思っている。悩みを通り越して疲れてしまった人は、ゼロイチの思考に陥ってしまうものだ。

3. 起承転結

最後の3つ目は、コミュニケーションや人間関係に関する先の2つにくらべて、ややテクニカルな内容だが、文章によるやり取りの多いビジネスパーソンにとっては、地味に影響範囲の大きいものだと思っている。

「ビジネスパーソンは起承転結という文章構成法をアンラーンすべき」と僕が考える理由が、Wikipediaにそのまま書いてあった。

日本においては、中等教育の段階までに学習する文章のスタイルは、「起承転結」が一般的である。このため、生徒は「日本語の文章は必ず起承転結で書く」という認識を持って卒業している場合が多い。一方で、起承転結は、漢詩の構成にすぎず、論理的な文章を書ける構成ではないとして、以下のように指摘されている。

日本語学が専門で高崎経済大学助教授 (当時。後に教授) の高松正毅は、起承転結について、「こと説得を目的とする文章を作成するにあたっては極めて不適切で、ほとんど使いものにならない」と主張しており、「『起承転結』では、文章は書けない」と述べている。「起」「承」「転」「結」のそれぞれの機能の定義が明確でなく、各部分に含まれるべき文が曖昧であることを、高松は問題視する。

高松はまた、起承転結が真に問題であるのは、それが「役に立たない」からではなく、思考に大きな影響を与えるためであるとする。すなわち、文章の論旨とは無関係のように見えることを「転」で突然言い出したり、論旨を「結」に書くために、可能な限り後のほうに記述しようとしたり、文章の構成として絶対に認められない思考様式を定着させると、高松は主張している。

起承転結

そう、起承転結というのは、普遍的な文章構成法ではなくて、あくまで漢詩という形式におけるそれに過ぎないのだ。それがなぜか、《「日本語の文章は必ず起承転結で書く」という認識を持って卒業》することになってしまう。

僕が起承転結の根深さを感じるのは、「文章の書き方」や「プレゼンのストーリー作り」に関する研修を行ったあとのアンケートに、こういうコメントをみつけた時だ。

いままで起承転結を意識していたが、今回教わった論理的な書き方をやってみようと思う。

こういうコメントが、数ヶ月前まで学生だった新卒入社者だけでなく、ビジネスパーソンとして数十年過ごした大人からも挙がってくる。そう、彼らは無意識ではなく「ちゃんと意識して」起承転結を使っているのだ。だからこそ今度は、意識的にアンラーンする必要がある。

起承転結をアンラーンして、ビジネスパーソンとしての文章の書き方を身につけるために、僕がいつもおすすめしているのはこの本だ。

この本の良いところはたくさんあるのだが、最大のポイントは、そのタイトルにあると思っている。「ロジカル・シンキング」、つまり、文章の書き方ではなく、ものの考え方を中心に据えている点だ。サブタイトルに「論理的な考え方と書き方の基本を学ぶ51問」とあるのが、それを端的に表している。

起承転結が《ビジネスパーソンにとっては、地味に影響範囲の大きいもの》だと僕が思うのは、それが単に文章の書き方というテクニカルなことに終始するのではなく、ものの考え方という極めて根源的なことに関わってくるからだ。さきほどのWikipediaからの引用の最後にも、《起承転結が真に問題であるのは、それが「役に立たない」からではなく、思考に大きな影響を与えるため》とある。そして、『ロジカル・シンキング練習帳』のサブタイトルでも、書くことと考えることの切っても切れない関係性が示唆されている。

起承転結は、書き方にとどまらず考え方を、ビジネスシーンにふさわしくない方向に誘導する。これをアンラーンしないことには、ビジネスパーソンとしての経験が砂上の楼閣になってしまう。

アンラーンするために必要なこと

それは、「3つの教訓にしたがっている瞬間」を自覚することに尽きると思う。普段のなにげない会話や思考に意識的になることで、環境の同質性を仮定していないか(自分がしてほしくないことは相手にしてはいけない)、他者との距離感を見誤っていないか(友達100人できるかな)、ビジネスシーンに適さない考え方をしていないか(起承転結)といったことにアンテナを立てることが、なによりも大切なことだと思う。

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以下は関連する書籍など。

ビジネスシーンにおけるアンラーンについては、まずはこの一冊。

その次は、ビジネスシーンに閉じずに、働き方や生き方としてのアンラーンについて。アンラーン術(やり方)ではなく、アンラーン論(あり方)を、「読者と一緒に考える旅」として探る刺激的な一冊。また、アンラーンから離れた論点として、「4章 学習を手段化する人材育成的視点」は、企業内人材育成に携わるひとりとして極めて示唆的で背筋が伸びる。

アンラーンについての放談動画。上記の『みんなのアンラーニング論』を読み終えたいま、ゲストの橋本さんの言わんとしていたことがやっとわかった気がする。


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