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人が育つまでには、どれくらい待てばいいのか

子育てしてると感じるのが、「育てる」の大部分は、「待つ」ということなのかなと。

息子が下手くそにハサミ使ってる様子を横で見てると、「ああ、もう!」と取り上げてしまったり、「ああしろ、こうしろ」と言いたくなってしまう。
でもそこで、黙って見ている。
どれくらいのあいだ黙っている必要があるかは、前もってはわからないけれど。
そうすると、できる瞬間がやってくる。
「どれくらいのあいだ黙っている必要があるか」という問いに対する答えは、「できるまで黙っている」ということなのでしょう。

仕事もそういう部分はあるのだろうなと思います。
それがもしかしたら、いわゆる「昭和の人材育成」なのかもしれない。
人を育てるという営みにおいて、時間とか、待つということは、本来は相当量必要なはず。

「時間」は、「育てる」において、「必要である」のもっと手前として、「時間がかかるものである」という宿命なのかもしれない。

一方で、ビジネスにおける人材育成は、ビジネスの時間軸のなかでなされないといけないのもまた宿命。
野生の人材育成だと相当量の時間を要するところを、手を変え品を変え、なんとかその時間を縮めようとするのが、この仕事なのかなと。

頭ではわかっているのだけど、「人を育てる」という野生と、「ビジネス・パーソンを育てる」という人工(?)のあいだで、なんとも言えない気持ちになることもあります。

詳細は忘れてしまったけど、こんな本を読んだこともあった。
人材育成を仕事にする前だっただろうか。
いまもう一度読みたい本。


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