自意識が暴走してプロフィール写真が撮れない話
脳みそ1個のフリーランス
大事なのはヒントをくれる仕事仲間
フリーランスの人間は、基本ひとりで働いている。
同僚や上司なんかがいなくて、脳みそが1個である。
自分が思いついていないこと、好みではないことは、
自発的な行動としてあらわれることが一切ない。
だから、普段一緒にお仕事をしている方々の言葉は、とても大切だ。
どんな風に仕事をしていったらいいのか、
課題はなんなのか、
ヒントをいただけたときにはありがたく参考にさせてもらっている。
私にとってその方々というのは主に
著作の文章を担当させてもらったり、ボイシーで掛け合いトークをしている
整理収納コンサルタントの本多さおりさん、
HPを作成し、仕事の相談にのってもくれるグラフィックデザイナーの木村有子さん、
大和書房の敏腕編集者小宮久美子さんをはじめとした、信頼のおける出版社の編集さんたち、
貴重なフリーライター仲間である古川音さん
といった強固なラインナップ。
彼女たちが共通で「こうした方がいい」ということがあるならば、
それは絶対なのである。
プロフィール写真なんて撮りたくない
そんな信頼する人々全員から、
「ちゃんとしたプロフィール写真を撮った方がよい」と言われた。
プ…プロフィール写真……?
そういうものは、華やかなタレントさんとか、クリエイターとか、インフルエンサーとか、
要は人前に出るセレブに必要なのではないのですか。
私の写真を見て、誰にどんな得があるのですか。
誰にも得にならないとわかっているものを、意気揚々と掲げるメリットはなんですか。
ものすごく、恥ずかしくはないですか。
私は、人のプロフィール写真をあれこれ見てみた。
む……むりむりむりーーーーっ!
自我が崩壊するような気がした。
こんな姿を人にさらして普通の顔して生きていける気がしない。
いや、私の見たプロフィール写真の人たちはいいんですよ。
ぜんぜん、ステキなんです。
でもここに自分の首がすげかわった場合のことを考えると、
アスファルトに土下座して顔面を打ち付けたくなる。
ステキに撮られたら終わりなのだ。
だって私は決してステキじゃないのだから。
いやね、
テキトーに撮られるスナップ写真がうっかりステキな場合は
「ラッキー」と思うだけなのよ。
でもそれが、プロフィール写真として撮られるものなら爆死一択だ。
アラフィフにして知る、自意識
「やっぱりプロフィール写真はいりません、大丈夫です」
心の顔から血を流しながら
信頼する上記のみなさんにお話しした。
みなさんは、
「いや、ちゃんとした写真がある方が依頼する人は安心できるから」
「美醜とかではなく、キャラ的に矢島さんは顔を出した方がいいから」
「フリーランスとしての信頼につながるから」
と何度も話してくれる。
そう聞いても、メリットとデメリットをはかりにかけると、完全にデメリットが勝利する気がしてならない。
だいたい、スナップ写真を切り抜いて顔はもう載せているのだ。
でも、それでは信頼に結びつかないのだという。
その辺の事業センスが皆無なのでまったくピンとこない。
ついに私は、恩義ある人に向かって
「じゃあ聞きますけど、自分がプロフィール写真を撮ってどこかに載せるとなったらどう思うんですか?」とか言い出した。
誰もがものすごく面倒くさそうな顔をして
「なんなの、その自意識」
「自意識過剰なんですよ」
と言う。
「まあ自分ならいやだけど」
でしょうが!!!
すでにいろいろなプロフィール写真をさまざまな媒体に載せている本多さんは、「いったい何にそんなに抵抗しているの」と半笑いだ。
本多さんは本当におおらかだと思う。
でもちゃんと軸をもって、押さえるとこ押さえてるんだよなあ。
プロフィール写真を隠し撮り
とある日、建築家の長澤徹さんを本多さんと小宮さんとともに取材した。
そのときのカメラマンは、有子さんの夫である木村文平さん。
頑なな抵抗をみせる私に業を煮やした本多さんと小宮さんは、
文平カメラマンに「今のうちに撮ってまえ」と促して私を隠し撮りしてくれた。
建築家さんの話に集中していた私は、なんかやってんな、とは気づいたけれど取材中は一言一句聞き逃せないのでスルー。
果たして、撮られることを意識していない、普段通りの自分を撮ってもらえたのだった。
隠し撮りのおかげで顔は自然で気取ることもなく、
長澤さんの手掛けた意匠のおかげで雰囲気とてもよく、
文平さんの手腕のおかげでとてもすてきなプロフィール写真ができた。
なかには、ちょっとうつむき加減でよすぎる雰囲気の写真もあり、
それも候補だった。
けれどそれだと
あばばばば、と思った。
はぅ……、と思った。
この一枚が、私のアイデンティティから外れることなく、
「こういう感じの者でございまして、
精一杯よいものを書きますので、よろしくお願いします」
と見る人に伝えている素の私でございます。
普段はこんなに面倒くさくないです本当です。
ネタになるなら動く、ライターのさが
ただ一枚写真を撮って載せるというだけで、どれだけひとりで大騒ぎするのか。ひと事なら私だってそう思う。
このすばらしい隠し撮り写真でさえ、
「ありがたいけど載せるって決めてないです」とか言っていた。
どんだけぜいたくなメンツの連係プレーだと思っているのか、
恐ろしいほどの傲慢だが本心だから仕方がない。
最後に私を説得してくれたのは、有子さんであった。
「そんなにもがくならもう、プロフィール写真のことで一本noteを書いたらいいじゃないですか」
・・・・・・・・・
そう言われると弱いのがライターである。
ライターという人間のサガをよくわかっている。
一本書けるなら、それはやった方がいいやつなのだ。
好評だろうが不評だろうが関係ない。
一本書けるということ自体が、ブランディングより大事なことなのだ。
つーわけで、書きました。
本当にうっとうしいですね。
そして書いたことで身に染みてわかったことが、自意識のほかにもうひとつ。
フリーランスはひとりのようで、全然ひとりではないということ。
みなさんのおかげでやっていけているんだなとしみじみ再認識しました。
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