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私がこの目で見てきた刑務所

刑務所というと世間の人たちはどういうイメージがあるでしょうか。極悪人、社会のはみ出し者の集まり、税金の無駄遣いなどがあると思います。
刑務所とは罰を受けるところ、社会復帰を目指して更生するところ。建前上そういうふうになってはいますが、中で実際に生活してみて感じたことは、後者の要素がほとんどないということです。

それはどういうことかと言うと、まず刑務官です。

どこの企業でもそうですが、企業理念というものがあり、従業員が皆そこを目指すことによって初めて会社というものが成り立ちます。皆がそれぞれの方向を向いていてはミッションはクリアできないはずです。

しかしながら刑務所では刑務官がそれぞれの方向を向いてしまっています。社会復帰・更生を共通認識している刑務官は私の感覚ですと、一割にも満たないです。就職理由も公務員としての安定を求めている人が多いのではないでしょうか。受刑者が刑期を務め終えればそれでよしとする刑務所の体質みたいなものが態度や発する言葉からある程度判断できてしまいますね。

ですので環境というものは最悪です。本当に最悪です。

"犯罪の知識を得る場所"

"悪い仲間を作ることに適した場所"

"更生することが難しい場所"

とでも言えばいいでしょうか。刑務官の目の前で犯罪の話をしていようが、受刑者同士が出所後に会う約束をしていようが、見て見ぬ振りです。
きっと刑務官側も務めが長すぎて「当たり前」のことになってしまっているんでしょう。

そして受刑者です。
そもそもほとんどの受刑者が更生などする気がないのです。自分が犯した罪に対する反省とはかけ離れた言動をとり、職業訓練という名目で他の刑務所から犯罪仲間を探しに来るような猛者までいます。各工場によって多少のルールは異なりますが、基本的に工場へ先に配役された人間の方が立場は上という考え方が浸透しているようです。

工場の中で上下関係を築き、”シャリあげ”と言われる各人の限られたご飯の恐喝まであります。刑務官の目の前でやれば流石にアウトですが、見えないところでやっている分には暗黙の了解があるようです。ひとつの工場の中でも派閥があったりもします。

受刑者の多くは孤独でいることを嫌い、似たような属性の人たち同士でくっつきます。類は友を呼ぶ。似た者同士でくっついていれば犯罪の話をするのは当然のことと言えます。その後どうなっていくかは想像がつくと思います。

逆に人生をやり直すために切磋琢磨する関係は稀です。自分が読んだ本を教え合ったり、今後どうしていきたいのかを話せる仲というのは、ほぼありません。今までの生き方や、そこに伴う思考回路、見栄やプライドが邪魔をします。

"恥ずかしい"

"なめられたくない"

そんな思いが渦巻き、どうしても環境に流されてしまいます。自分の中に変化の兆しが芽生えたとしても、周りの人たちのノリや言動に巻き込まれていき、摘み取られてしまいます。

"水は低きに流れる"

人間という生き物の弱さがよくわかる場所です。私が受刑した場所は少年刑務所でしたが、成人刑務所はもっとこのような要素が強めの場所らしいです。刑務所に入ることによって更に罪を犯す体質になることは目に見えています。

受刑者である私ですら、刑務所の運営方法には改善の余地がかなりあると思いました。

更生や社会復帰をうたっている刑務所がこんな場所なのか、と失望しました。犯罪を止める気のない人や変わる気のない人は論外ですが、本当に人生をやり直したい人が変われる環境でなければいけないと思います。そして刑務所側はもっと「きっかけ」を与えるべきです。時代に沿った働き方であったり、思考法や世の中の広さをもっと教えて伝えていくべきです。

職業訓練にしても、私の感覚ですと刑務所の中で待遇の良い仕事に就くための資格ばかりな気がします。刑務所の中で役に立っても社会に出た後に役に立たなければ何の意味もありません。

そもそも多くの受刑者は向上心があまりありません。
「成功してお金持ちになりたい」と口にする人はたくさんいますが、言葉に発することと普段の言動にギャップを感じました。時間を無駄にしたくない思いから読書や日商簿記等の資格の勉強、自分がやれることに目を向けて自分の余暇時間を使って取り組む人は多くはありません。多くの人が目の前の楽しみや欲に負けてしまい、テレビに見入って無駄な1日を過ごしてしまうのが通常のパターンです。

私は、余暇時間のほとんどを読書や勉強に費やしました。約3年間でおよそ300冊以上の本を読みました。本を読み始めてから、どれだけ自分が狭い世界で生きてきたのかということを思い知らされました。

私は世の中のことを何も知りませんでした。目に写っている世界が全てだと思っていた私は本当に大きな衝撃を受けました。なぜ、今までそのことに気づけなかったのか。もっと早く気づくことができていれば、ここまで深い傷を負わずに幸せな人生を歩めたのではないか。そんなことを考える日々でした。

しかし、人間は一人ひとりにそれぞれの人生があり、ストーリーがあります。何かに気づくタイミングも各々違います。
そのタイミングが私は「今」だったのです。気づけなかったことを悔やむのではなく、気づけた「今」が一番若いのは言うまでもありませんし、気づけた「今」から変わっていけば良いのだと思うようになりました。

”自分が知らない世界が必ずそこにある”

このことを認識するようになってからは、怠惰な同囚からも学びを得ることができるようになりました。今までは何でもないようなことだったことが一気に学びに変化しました。

他人の短所を発見してそれを批判したくなった時には、一旦立ち止まって、”自分はどうだろうか?”と考えるようになりましたし、他人の言動を見聞きして自分の言動を俯瞰してみること自体がすでに学びでもあると思います。
自分のことを客観的に見ることはとても容易にできることではありませんが、だからこそ意識してそのことを考えることが大切だと思うのです。

世の中には自分とは全く別の考え方があり、全く知らない遊びや働き方もある。
そのこと知ってから、自分には何ができるのか、何に興味があるのか、そもそも自分にとっての幸せとは何なのかということまで考えるようになりました。

刑務所の中にいても正直時間の無駄です。
私は「気づき」を得ることができたので、非常に意味のある受刑生活になりましたが、他の受刑者が同じように感じているのかは定かではありません。

刑務所という空間から1日でも早く抜け出したい思いから、出所まで一度も懲罰を受けないという決意を心に誓い、無事故で駆け抜け模範囚として仮釈放期間もかなりもらえました。

刑務所によって評価基準は異なりますが、最終的には1種1類という最終形態で出所することができました。

刑務所の中での「種」や「類」によって待遇がどのように変わってくるのかは、色々なところで語られていると思いますのでここでは省きます。
衝撃的なくらい天と地の差があることは伝えておきます(笑)

ここまで読んでいただいて刑務所がいかに機能していないかがお分かりいただけたかと思います。

どこかの頭がいい人が弾き出した数字を元に刑務所の運営方法が決められているとは思いますが、それだけでは犯罪は減りません。

懲役という強制労働をさせることで、「働く力」を養っていくとは言いますが、実際のところどれでどれくらいの人が犯罪をしなくなり、仕事が続いているでしょうか?意味がないとは思いませんが、他に方法があるのではないか?とも思います。

本当に犯罪を減らすためには何が必要なのか。

私が思うのは、”視野を広げさせる”ことだと思っています。
とても抽象的な表現ではありますが、この一言に要約できるのではないでしょうか。

私一人でこの現状を変えていくことはできませんし、私の考えに賛同していただける人たちと手を取り合って社会を良い方向へと変えていければと願っています。

自分たちが生きる社会、子供や孫たちが生きていく社会をもっと良いものにしていきたい。そして子孫たちに幸せな人生を送ってほしい。そのために私が今できることをしていくだけです。

私が刑務所で培った思考法は、普通の人たちにも役立ててもらえると確信しています。

「刑務所を出所した」

このことだけを見れば批判的な目で見る人もいると思います。それは当然のことと承知していますが、一度刑務所を経験したからといって全ての能力が劣っているとは思いませんし、刑務所を経験してしまったからこそ取り組んでいけることもあると思います。

私が得た「気づき」を伝えることで、一人でも多くの方が生きやすい人生を手に入れて幸せになってくれればと願っています。

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