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進んだ2時間の時差が、僕の1日を有効活用させる。 自分に向き合う時間の威力とつくりかた

今僕は東側にオーストラリアに住んでいるので、日本と2時間の時差だ。この2時間早い時差が、僕にとってかなり都合がよい。
今日は、自分に向き合う時間の威力と、その時間つくりかたのヒントとなるような、時差によって気づきを書いた。

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僕が朝6時に起きて、サーフィンを2時間したとする。その後、朝ごはんを食べたり、移動したりで、仕事の開始を9時にした。
この時、日本は朝7時だ。今日は、まだ誰も Slack のチャットにいない。

朝の時間は集中できて、仕事が進むという価値観がある。僕もとても共感する。
朝の時間は、お昼の生産性の2倍以上あるかもしれない。朝は静かで、脳が働き、集中できるのだ。

しかしながら、2時間の時差によってできた2時間の余裕は、この考え方をアップデートさせた。「朝が静か」だから、脳が働き、集中できるのではなく、「誰にも邪魔されない」から脳が働き、集中できるのだ。

人によっては、夜が集中できる人もいるだろう。これも同じ理由ではないか。

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僕はこのチャットに誰もいない、誰にも返信しなくて良い時間が、今日1日を、強いては、人生を有意義にしてくれるのではと考えている。

誰にも邪魔されない時間 == 自分に向き合う時間 になるからだ。

自分に向き合う時間は、それが仕事であれ、趣味であれ、必要な事以外をしたいとは思わない。自分にとって必要な事を進める時間を確保することは、非常に大切だ。

nD での始業を 日本時間で 朝10 時〜 だとすると、オーストラリアの2時間の時差では、正午12 時〜の始業になる。
朝6時〜9時(仕事以外の時間)と朝9時〜12時(仕事時間)で、邪魔されない時間がつくれるというのはかなり大きい。これがすべて確保できた時の1日の充実度はたかい。

実は日本にいるときも、午前中は返信しないと言った決め事などで、これは実現しようとしていた。だが、相手がチャット上で動いていたり、クライアントから連絡がきたりしている。
連絡をと取ろうと思えば取れてしまう状況は、気づかないくらいレベルで、少なからず邪魔になってしまっていたのだ。

朝、集中できるというのは、絶対的にこの邪魔が少ないからだ。
いくらアプリのノーティフィケーションを切ったり、アプリ自体を落としたりして情報を遮断としても、絶対量として多くの人間が活動しているのだから、情報がとどく絶対量も多く、遮断しきれないことがそれなりあるのだ。
そういった意味で、朝は遮断をという行動をわざわざ取らなくても良いし、ノウハウがなくてもだれもで集中し易い環境といえるのではないだろうか。

この、ほんとーーに少しの、気づかないレベル邪魔が、固定概念的に実は意外と邪魔になっている

ということにオーストラリアに来てから気づいた。時差が1時間あるだけで、この時間が1時間多くなるのだ。
集中した1時間の積み重ねは本当にでかい。

日本とビジネスをする僕にとってオーストラリアの数時間だけ進んだ時差の威力は半端ない。

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最近考えている僕のテーマのひとつで、「場所にとらわれない働きかた」、次で「時間にとらわれない働きかた」を日々考えている。
各個人が最適な場所、かつ、最適な時間で生きつつ、協調した社会を作っていくためにはどうしたらいいのだろうか?

これ実現するために、ビジネスタイムそもそもに対して、疑問が浮かんでいる。

・ビジネスタイムの存在意義はなにか?
・僕とあなたのビジネスタイムの意味は同じか?

全部を1つの記事にするには、複数の価値観や概念がまざりあってしまうので、明日から1つずつ考えていくことにしたい。

誰にも邪魔されない自分に向き合う時間があるから、noteを書き続けられている理由かもしれない。

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