見出し画像

国民性の作られ方かも?「たたんでくれてありがとう」の見え方

あつこさんの記事を読んで思い出したことがあります。

あつこさんのネタの取り上げ方にはいつも感心します。日常、見過ごしがちな小さなことをとてもじょうずに記事にまとめます。よく登場する理科系夫さんはわたしの中ですっかりキャラクター化して存在していて、次はどんなネタで出てくるのかとわくわくしちゃいます。😆

さて上述の記事を読んで思い出したこと。

我が家は1997年から4年間、家族でサモアに住んでいました。日本のおじいちゃん、おばぁちゃんに会うために年に一度は家族で日本に帰省していました。5歳で日本を離れてしまった末息子は日本の学校体験がなかったので、帰省中に地元の小学校に一日体験入学をさせてもらったことがありました。

すでに末息子はサモアの小学校生活に慣れていたころです。サモアの子どもたちはお腹が空いたからと、校庭でたわわになっているマンゴーをもぎ取って食べたり校内の売店で買ったスナック菓子やドリンクを食べたり飲んだりしてはポイ捨てしてしまいます。そんな環境があたりまえだったころの体験でした。

よく言えばのびのび、悪くいえば放し飼いキッズ😆です。すでに四半世紀前のことなので、今はすっかり変わったのかもしれませんが、当時はそんな感じでした。

日本に暮らしていたら通っていただろう小学校に末息子を連れて一日体験入学をしました。全校でも百人に満たない小さな学校でしたので、全校児童が同じ教室で給食を食べていました。末息子と同級生の児童はかつては同じ保育園に通った顔馴染みだったので、みんなやさしくしてくれて、何もわからない息子にいろいろと教えてくれました。

息子がいちばん衝撃をうけたのが、給食を食べたあとのお友達のゴミ処理と歯磨きでした。食べ終わったあと、全校児童が見事なほどきちんとゴミを仕分けして捨てる様子に目をシロクロさせていました。

牛乳パックは表紙と裏紙をじょうずに剥がして分けました。ついてくるストローとその袋、納豆パックのゴミ……とそれはそれは手際よくそれぞれの場所にきちんと分けるだけでなく、剥がしたり、まるめたりして捨てる“捨て方”を教えてくれました。日本では子どもたちがあたりまえに教えられ、実行していることでした。

子どもたちの給食の様子を見たのは、わたしにとってもそれが初めてだったので、サモアでの放し飼いキッズと比べるとあまりのお行儀の良さに心から感心したものです。

極め付けは、給食が終わったあと全児童が一斉に歯ブラシを取り出し、歯磨きソングに合わせての歯磨きでした。まるで条件反射のように歌にあわせて同じ歯を全校児童で磨いている様子は、素晴らしいと思う一方、あまりに美しく集団として手なづけられているようにも映りました。

歯磨きをすることも、習慣化させることもいいことだと思う一方、音楽に反応し全児童がまったく同じ動きをする様子は異様にも見えました。

日本人のルールやマナーに対する従順さは、世界的に知れ渡るほどの定説となっていますから、その背景にはこうしたきめ細かな先導も功を奏しているのかもしれません。

夫が亡くなるまでの数年、米国人大学生を連れて日本への研修旅行に便乗した経験があります。学生たちは仕分けが細かな日本方式に戸惑いながらも“ゴミ”にまつわる日本人の行動を賞賛していました。ただ、一方でどうしてこんなふうにルールが守れるのか不思議とも言っていました。

そのたびに、かつての一日入学体験で見た光景を思い出しました。日本では大なり小なり、学校教育の時点からそれができる大人になる仕組みがあるのだと思います。

ちなみに在米の現在、わたしの住む地域では、ゴミはリサイクルとそうではないゴミに分けるのみ。コンテナに収まればペンキ、電池、オイル、爆発物などの危険物以外は何でも捨てて良しです。義ムスメのむーちゃんは牛乳パックだろうとどんなにかさばる箱も潰さずにゴミ箱にぽいぽい捨てます。

なぜかわたしは、誰にも命令も指示もされていないし、その必要性もない環境にいるのにかさばるゴミをきれいにたたんで捨てますから、この習性はいったいどこから来るのやら……?と自分で苦笑してしまいます。

「たたんでくれてありがとう」の裏にあるのは「たたんで捨てなさい」というメッセージとも受け取れます。商品を作った企業が、ありがとうと言いながらも、他の人のためにたたんで捨てることを促すメッセージにしてしまうっていうのは日本ならではだなぁとあらためて感じたのでありました。

とはいえ、書いてあるからたたむってわけでもないでしょうネ……。

いやはやいろいろあるのですね。新たな発見でした。


🌺 共感、応援いただけるならとびあがって喜びます。 そして、その喜びと感謝を胸に次のどなたかに恩送りします。