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#15 ロバート・L・スティーブンソンのレクイエムの前で【サモアの想いで】

🌴以下の作品は2007年〜2010年の間に、米国に暮らしながらサモア暮らしのリフレクションを記したフォトエッセイ(全20篇)の転載です。サモアには97年に住み始めたのでこれを記したときはその10年後。そして、今さらに記したときから十数年が過ぎました。

🌺こうした経験からできあがっているのが今のわたしですから、いつ振り返ってもすべての時間が愛おしいです。

🌈こんな人生を与えてくれた夫に心より感謝💗


 私の記憶の中で、肉体的にいちばんヘトヘト、ガクガク、ボロボロになった思い出。私が横たわっているのは、ロバート・ルイス・スティーブンソンの墓の上だ。その名前を聞いてピンとこなくとも、『宝島』『ジキル博士とハイド氏」という作品に聞き覚えのある人は多いだろう。

 スコットランド人の作家、スティーブンソンは、世界的に有名となったこれらの作品を著したあと、地上の楽園を探し求めて南太平洋を渡り歩き、1898にサモアにたどり着いた。

彼は当時のサモア人に、ツシタラ(語り部)と呼ばれ慕われたそうだ。1890年にいったんは祖国英国に戻ろうとしたが、体の弱かった彼はシドニーで体調を崩し、帰国を断念したという。以後、彼はサモアのバイリマ“Vailima”を永住の地とし、ここで生涯を終えたことは日本ではあまり知られていない事実かもしれない。もちろん、私もサモアを訪ねるまでそんなことは知らなかった。

 大した観光資源のないサモアでは、これは格好の観光ネタであり、彼の元邸宅は観光客用に博物館として公開されているため、没後100年以上が経つ今も、スティーブンソンという文豪の存在を知らないサモア人は稀だ。

 彼は、生前の望みどおり、邸宅横にそびえるバエア山の山頂に葬られているというので、家族でこのバエア山頂を目指した。険しい山道を登りつめると、首都アピアの町が一望に臨め、その向こうには南太平洋が、そして海と空の間には水平線が広がった。

 すばらしい景色に歓声をあげるまもなく、険しいハイキングのツケがど~んと膝に来た。私の膝はガクガクだった。「膝が笑う」という言葉があるがはじめてそれを実感した。大笑いをはじめた膝を治めるため、しばし、スティーブンソンといっしょに横たわった。

 私の背後には、彼の遺したこんなレクイエムが刻まれていた。

Under the wide and starry sky  広がる星空の下
Dig the grave and let me lie,  墓を掘り、我身を横たえん
Glad did I live and gladly die, … 生を楽しみ、喜んで逝く…

2008 Nov. by yahoi

🌴今の声
ほんとうにクタクタになったことは今も記憶にありますが、正直いうと今のほうが体力には自信があるので、今ならホップスキップで上り、お墓で横たわるなんてお行儀の悪いことはしないと思います。



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