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学生時代に思っていた理学療法士像

今回は思い出話です。

理学療法士養成校時代(大学時代)は良き理学療法士になることばかりを考えていました。

自分の中で医療従事者=立派で正しく素晴らしい人間だったので、自分もそうなろうと当時は本気で思っていたんでしょう。

大学から帰る途中の電車で嘔吐してしまった女性に遭遇しました。次の駅でその女性はフラフラと電車を降り、反対側のホームで再度嘔吐としていました。その時自分は見ているだけで何もできず、同年代くらいの女性がさっと電車から降りて嘔吐した女性に声をかけにいきました。

その後、何もできなかった自分に無力感なのか罪悪感なのか、はたまた悔しさなのか、もやもやと落ち込みながら帰宅したのを今でも覚えています。
学生のくせに医療人ぶった行動がしたかったんだと思います。

それはともかく、医療従事者はこうあるべきという理想像が確固とした形でありました。

当たり前の話になりますが、全員同じ方向性の情熱を持って働いているわけがないのです。(自分が志高かったとはいいませんが)

理学療法士って国家資格だよね?
国の利益になるように働かないといけないでしょ?

理学療法士って患者さんのこれからの人生に影響を及ぼすよね?
こっちも人生かけないといけないでしょ?

理学療法士ってリハビリテーション専門職だよね?
患者さんの家族・友人・ご近所さん・福祉関係者も含めたマネジメントをしないといけないでしょ?

なんてね。

臨床を離れて(理学療法士を辞めたとは思っていない)から行き着いた答えは、「他人に正論と正義感を振りかざしても何もいいことない」ということです。

価値観や能力、持っているエネルギー量にが個人差がある。
患者さんも含めて、自分を他人に転写しようとしてはいけない。
でも、他人は受け入れるべきです。

ここで損得の感情が出てこなくなった時、ちょっと良い人間になっているかもしれません。

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