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「ベーシックインカム」はありえますか?

ベーシックインカムの実験に関する記事を読んだ。ベーシックインカムというのは、政府が全国民に対して、決められた額を定期的に支給する、という政策案である。

世界最大規模のベーシックインカムの実験をして、悪くない成果が得られた、という記事である。この手の記事をきっかけに、「だからベーシックインカムは最高だ、日本でも導入すべきだ」という意見が見られたりする。

最近はこの手の主張は下火になってきたような気がするものの、少し前までは結構盛んに言われていた。

ベーシックインカムに関する議論は、専門的な内容になるため、あまりここでは書かないようにしてきた。しかし、いろいろ考えてみても、自分にはあまり良い方策には思えない。なので、少しこれについて整理してみたいと思う。

上記記事のように、「ベーシックインカムの実験をして、いい成果が得られた」というような記事はときどき見られる。しかし、こういったベーシックインカムの実験はあまり意味がないと思っている。

というのも、ベーシックインカムを推進したいと考えている人は、数万人規模ではなく、たとえば日本なら日本全国で実施することを前提にしていると思うのだが、そうなるとまた状況が変わってくるからだ。

一部の地域で実験した結果は、国家全体でやった場合とイコールにはならない。国の状況によっても結果は変わってくるだろう。現代の日本で、全国に平等な金額のお金を配るとなると、また全然違う話になってくるはずだ。

多くのケースでは、ベーシックインカムのための財源として、社会福祉の費用を減らして現金を給付し、「それで何とかしてください」というような話なのだと思う。それはつまり、医療費、その他の今の公共サービスの質を下げて、自分のポケットマネーから賄ってください、というようなことになるはずだ。

例えばアメリカだと医療費が非常に高く、風邪をひいたり怪我をしても病院に行かない人が多いというが、日本で普通の人がイメージしているようなベーシックインカムが導入されるとなると、そういう社会になってしまうのではないだろうか。

たまに、「足りない財源は単にお金を刷ればいいんだ」という話をする人もいるが、それがかなり乱暴な議論だということは少し考えればわかる。日銀が余分なお金を刷ると、日本円の価値が希釈してインフレが起きてしまい、経済が混乱してしまう。たとえば、今の時期だとただでさえ円安なのに、不用意に円の価値を下げると大変なことになる。

「お金がないので、お札を刷って急場をしのぐ」のは、もうそれしか手段が残されていない場合だ。そして、そんなことをしたらハイパーインフレとなり、実質的に経済が破綻してしまう。今の日本でそんなことになるわけにはいかない。

ベーシックインカム論者の言っている主張はもっと論理的なものもあるのかもしれないけれど、少なくとも今、自分の知っている範囲ではあまり納得のいく内容のものは少ないように思う。

そもそも、生活保護を受給している人をターゲットにした悪徳商売を展開する人もいる中で、ベーシックインカムのように全国民に一律で一定額が給付されるようになった場合、それに目をつけた悪い人がそれを商売のタネにすることは大いに予想される。それはあまり良い社会とは呼べないような気がするのだ。

そもそも、全国民に「平等」にお金を配ることは、決して「公平」ではない。ベーシックインカムは、全国民に一律にお金を配るというものだと思うのだが、社会福祉を必要とする貧困層と、それを必要としない富裕層にも一律でお金を配ろう、ということになる。それは富の分配としてはあまりにも大雑把だし、意味がないのでは、と思うのだ。

有名な「平等」と「公平」を示したイラスト。左のイラストは「平等」に足場を用意しているが、右端の子どもは何も見えない。右のイラストは、おのおのの状況に合わせて足場を配置したもので、「公平」と言える。

これだけテクノロジーが進歩し、江戸時代と比較すると比較にならないほど生産性が上がった。社会で食べるために仕事をしなくても良くなる社会というのがそろそろ実現しても良さそうなのだが、今のところはそれが実現するような兆しは見られない。

これは実現しそうではあるのだが、永遠に実現しないような気がする。答えはシンプルで、人が無限に増えると、無限に養わなければならなくなるからだ。

今の人口を維持するという前提であれば可能かもしれないのだが、いくらでも人が養えるということは、いくらでも人が増えるということで、無限に人が増え続ければいつか社会全体で食べられなくなる水準に達する。日本は、そもそも1億人も生きられないような国なのではないかと思っている。現に、江戸時代はもっと少なかったわけだし、戦前も1億人はいなかった。

戦後、団塊世代が若いうちは労働力として期待されたけれど、これからは大勢の老人になって社会の負担となっている。これは、いまは「若者が多い国家」とされているほかの国でも、同じような運命をたどるだろう。

今の人口を維持して、増えすぎないようにし、その上で一人当たりの負荷を軽減するというのが理想だと思うのだが、なかなかそううまくコントロールはできない。

中国では一人っ子政策というものが数十年前から行われていたが、さすがに社会が持たなくなってきて、今では修正された。人口調整というのは江戸時代くらいだったら、飢饉などで自然と調整されていたのだが、現代社会ではなかなか難しい問題だ。

そういったことを社会福祉その他で調整する必要があると思うが、そういった複雑なシミュレーションはもはや人知を超えているので、AIに頑張ってもらう、といった感じだろうか。


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