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出世と怒られ

以前、サイバーエージェント代表の藤田晋の本を読んでいた時に、「会社に入ったら必ず怒られるぐらいに思ったほうがいい」ということが書いてあり、なかなか面白いな、と思った。

曰く、「社会人になったらまず間違いなく怒られるけれど、それは下っ端だから怒られるのではなく、管理職になってもその上から怒られる。上に行っても、さらに上から怒られる。

会社組織において最高位まで上り詰めても、顧客や株主から怒られる。つまり、会社に入ったら必ず怒られるぐらいに思っておいて間違いない」と書いてあったのだ。

もちろん、藤田晋はサイバーエージェントの社長なので、「会社内における最高位」になるわけなのだけれど、それが生半可なものではないというのは、彼の本を読めばわかる通りだ。
 
たとえば、自分の仕事の目標が未達だと上司から怒られるわけだけれど、要するに部下である自分の目標が未達であれば、部全体にも影響が及ぶわけで、巡り巡って上司の目標も未達になる。それで、上司はさらにその上司に怒られてしまうため、こちらに対しても怒っているのである。

そもそも、一般的な会社員の視点からみて、上司の上司ビッグボス上司ボスに対してどういう怒り方をしているのかはよく見えないので、こういう構造に気付かなかったりする。

でも、俯瞰して見ると、こういう構造になっている。


 
だから、「怒られないために出世する」と考えるのは間違いで、どう出世しても必ず怒られるのだから、あんまりそこを気にしても仕方がない、ということになる。

重要なのは、怒られないようにすることではなくて、仕事できちんとした成果を出すことで、「成果が足りない」と言われようと、自分にしかできない「何か」を求めて歩み続けることが重要だったりする。そういう人は、巡り巡って最終的には評価されるので、出世をしたりするわけだ。

もちろん、先ほどのロジックに従えば、どこまでいっても必ず怒られるので、「怒られない」という領域は永遠に存在しないわけだけれど。
 
じゃあ、出世になんの意味があるのか、ということを昔は考えたりした。要するに、どこか雲の上のようなところに「成功者の楽園ユトーピア」みたいな領域があって、そこに行きさえすれば誰からも怒られることもないし、絶対的な栄誉と富が約束される、みたいなことがあるのかと思っていたのだ(まあ、新卒で社会人になったかならないかぐらいの頃だが)。

もちろんそんなものは存在しないということは社会人になってほどなくしてわかった。
 
仕事を頑張って成果を出すのは、もっと難しい仕事をするためだと思う。目標を達成して、成果を出すと、「じゃあもっと難しいこの仕事をやってみろ」と難易度の高いものがやってくる。それを達成すると、さらに難しいもの。基本的に、仕事というのはこの繰り返しである。

ある意味、少年ジャンプにおける、ドラゴンボールの世界などと同じで、さらに強い敵、さらに強い敵を倒し続けるのである。

もちろん、そういう過程で力をつけていけるので、別の会社に転職する選択肢も広くなるし、結果として給料という形で収入もついてくるだろう。しかし、「ゴール」などはなく、ひたすら走り続ける、という点では確実にそうである。


 
これはいろんな意味で捉えられる。頑張って出世して、難しい仕事に取り組むぞというモチベーションにも使えるし、逆に仕事で失敗して降格させられ、仕事を干されたとしても、またここから積み上げていけばいいんだということを考えることができる。

そして、会社員に限らず、フリーランス、経営者、すべての人に同じことが言えるのではないか、と思う。
 
もちろんいろんな考え方はあるとは思うが、一歩ずつ登っていくことを楽しんでいけばいいのかな、ということを考えたりする。気負わずにやっていきましょう。

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