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媚びない生き方

会社員でいるのが嫌になってしまった人で、「自由に生きたい」と志向する人がいる。そういう人は、たいていその人の思い描くモデルケースがある場合がほとんどだ。たとえば、知り合いに自由業の人がいるなどのケースが挙げられる。まあ、具体的に思い浮かぶ人がいなくても、「自由な生活をしている人」のイメージとして思い浮かぶ対象があるのだろう。
 
そうやって「自由に」生きている人たちは、ある意味では、「媚びない生き方」なのかもしれない。会社員で会社に依存していたり、生活費を自分以外の誰かに依存しているような立場にある人は、その組織や人に依存しているので、どうしても媚びる必要があるだろう。


 
しかし、「自由業だからといって誰にも媚びないで生きている」わけではないのでは? と思う。特定の組織に依存はしていない場合でも、自分の生活を支える仕事を発注してくれる顧客は存在するはずで、重要な顧客に対してはある程度は媚びているのかもしれない。もちろん、全く誰にも媚びずに生きている人もいるのかもしれないが。
 
一方で、こういうことも考える。媚びない人は、たとえその人がどういう組織や生き方をしていても媚びないのではないか、と。逆に、人に媚びるような生き方をしている人は、やっぱりどういう組織や生き方をしていても媚びるような気がする。要するに、その人のマインド次第というか、組織や生き方とは無関係のような気がするのである。


 
仕事や生き方について考えるとき、フラクタル構造というか、究極のところ、本質部分まで突き詰めると、個人で仕事をしようが、組織で仕事をしようが、同じことなのでは……、という気がしてくる。

というのも、個人で仕事をすれば「他人から仕事を請け負う」ことを顕著に感じることができるかもしれないが、それは会社にいたとしても結局同じこと。会社に対しては、労働契約を結んでいるにすぎないわけだから、条件が合わなければ仕事を変えることだってできる。

周囲を見渡しても、同じような環境なのに、周囲に媚びている人もいれば、まったくそうでない人もいるので、結局は「その人の生き方」というところに行き着くような気がしている。
 
逆に言うと、「媚びない生き方」は今日からできる。ただ単に、媚びることをやめればいいのだ。それによって起きるデメリット、不利益を、自分の力でカバーできるようになったとき、本当の意味で「自立」できるのかもしれない。

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