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宗教は怖いですか?

あまり熱心にニュースを見ていないが、連日、統一教会と政治の関わりが問題視され、話題になっている。安倍元首相が銃殺されるという衝撃的事件を受け、しばらくはみんな喪に服すのかなと思ったら、相変わらず国葬の話で政治家は揉めているし、統一教会の話で持ちきりで、おごそかな雰囲気は全く感じられない。

統一教会については、名前を聞いたことがある程度で、ほとんど何も知らなかったのだけれど、調べてみると韓国発祥のキリスト教系の新宗教らしい。そういう意味では、創価学会や幸福の科学、エホバの証人など、いくつもある新宗教とそう変わらない。

「政治と宗教の結びつき」というのが人々はとにかく気になるようだが、実際のところ、どれだけ人気の新宗教であっても100万人以上の信者がいるところはそうはなく、統一教会についても日本での信者は数万人程度のようなので、民主主義という統治スタイルをとっている限り、政治的に一定以上の影響が出ることはないだろう、と思っている。

日本人がこれだけ新宗教に敏感になっているのは、オウム真理教の影響が大きいのではないだろうか。もうずいぶん前のことなのでもしかしたら若い人はピンとこないかもしれないが、1995年に、地下鉄サリン事件というテロ事件が起き、神経ガスのサリンが東京の地下鉄で散布されるという無差別殺人事件が起きた。

そのインパクトがあまりにも強すぎたため、「新宗教」に対する心象が非常に悪くなり、ちょっとしたアレルギーのようになった人も多いのではないだろうか。「宗教」と言う言葉を聞いただけで、怖いもの、危険なもの、という認識の人も多いのではないかと思う。

オウム真理教が事件を起こす前は、まだ世間も新宗教に対するマイナスイメージが少なく、「新宗教ブーム」とも呼ばれた時期があったらしい。幸福の科学などもその時期に生まれたようだ。

新宗教はなぜ生まれ、どのようにして社会に溶け込んでいったのだろうか。創価学会などの成り立ちを紐解いてみると、もともとは高度経済成長期に集団就職で都会にやってきた若者たちの心の空白を埋めるために存在していた側面があり、その時期に信者を多数獲得した、という背景が大きいようだ。

個人で商売をしている人で創価学会員の人も多いが、信者同士で商売することで地域経済を回す、という意味合いも強かったのだろう。どうしても新宗教というと、オウムのような過激なカルト集団ばかり想像してしまうが、もちろん、宗教自体が悪いわけではなく、本来は人間が生きていく上での「心の空白」を埋めるような存在であったはずだ。

大学生で、普通のサークルだと思ったら、実は宗教の勧誘でした、というのもよく聞く話ではある。しかし、それはそれで「宗教はダメだ、危険だ」と感じている何よりの証拠ではないだろうか。

宗教を忌避した結果、マルチ商法に引っかかってしまったり、変な投資詐欺、情報商材みたいなのに騙されてしまったりしたら、それはそれで目も当てられない。お金ばかり吸い取られ、友達も失ってしまうような活動よりは、規則正しい生活が送れて、ちゃんとしたネットワークで人間関係を形成できる宗教のほうがいい、という側面もあるのではないか(まあ、宗教にもよるとは思うし、そういうものは必要ない、という人はそれでいいのだけれど)。

いずれにしても、現代の日本人はちょっと「宗教アレルギー」の度がすぎる印象がある。怪しい宗教はとりあえず何もかも排斥する、という風潮になると、かえって変なものがはびこるような気がしてならない。何がよくて何がいけないのか、という善悪の判断は個々に任せて、あまりそういったものに偏見を持たないことが必要だと考えている。

自己啓発セミナーだったり、そういったものが流行る要因は、従来は宗教が担ってきた役割に隙間が生じているからだろう。一番いいのは、仏教・キリスト教などの伝統的な宗教が、もっと人々の拠り所になることだと思うのだけれど。

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