見出し画像

ネコのきもち

猫を飼い始めて半年近くが経とうとしている。自分から飼い始めたわけではなく、奥さんがもともと飼っていて猫が結婚に伴ってついてきた、という感じなので、いわゆる「連れ子」感覚である。

幸いにも、在宅時間が長いためすぐになつき、いまでは奥さんと二人で四六時中撫で回しているという状態だ。
 
奥さんによくからかわれるのが、僕が猫に対して「人間のように話しかけている」ということだ。夜、猫が眠そうにしていると、「眠いの?」と話しかけたりしてしまう。

うちの猫は話しかけると「ニャー」と鳴くので、つい会話が成立していると錯覚してしまう。無意識なのだが、猫に対して正座して話しかけていることもたびたびあるらしい。まあ、特に誰に対して迷惑をかけているというわけでもないので、別にいいのだけれど。
 
猫といえども、家族の一員である。よく、「ペットは家族の一員だから」というのを聞いて、「言っても、ペットはペットでしょ」と思っていたのだが、飼ってみると確かにそうなる。

家猫なので、基本的に外出することもなく、家には24時間365日存在しているのだが、いなくなってしまった状態がうまく想像できない。それほどまでに、「家族の一員」として我が家には欠かせない存在になっている。


 
ただ、そうやって考えていくと、ひとつの疑問にぶち当たる。それは、猫側はこちらを家族として認識しているのかどうか、ということだ。もともと、うちの猫は野良猫だったのを拾ってきたものなので(奥さんの以前の職場のボイラー室で生まれた子猫を拾ってきたらしい)、猫側には飼い主を選ぶ権利などなかったはずだ。

もちろん、猫には通常、そんな選択肢は与えられてはいないのだから、気にしすぎなのかもしれないが……。
 
うちの猫には同時に生まれた兄弟がいたのだけれど、2年ほど前に亡くなってしまったらしい。しかし、野良である親猫は毎年、そのボイラー室に来て出産するわけだから、他にも兄弟はいる、ということになる。親だったり、兄弟だったりに会いたくはないのかな、と思ったこともある。
 
もちろん、猫と人間では「親」や「兄弟」に関する考え方は異なる。猫なんてのは一年に何回も出産するし、一度に複数の猫を生むからだ。そもそもそんな「価値観」や「考え方」なんてものはないだろう。

でも、同じ家族として生きている以上、どうすれば彼の幸福度が最大化されるのだろうか、というのはつい考えてしまう。


 
人間と同じように、幸福について考えたり、自己実現をしたい、なんて思うはずがないのだが、「愛情」というのは理解しているだろう。

僕よりも早くに亡くなってしまうことは確実なのだけれど、生きているあいだは、苦痛を感じたりすることなく、元気に生をまっとうしてほしい、と思う。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。