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物語の主人公は好かれるべきか?

山本文緒の「自転しながら公転する」を読んだ。

2021年の本屋大賞にノミネートされた作品で、本屋ではデカデカとディスプレイされていた作品だ。山本文緒は学生時代はよく読んでいた作家なのだが、2021年に惜しくも亡くなられてしまった。

大学に入りたての頃、学校のあった名古屋の上社かみやしろという駅構内にブックオフがあり、なにげなく手にとって読んでいた。気のせいかもしれないが、自分がよく山本文緒の本を買って読んでいたので、なんとなく優先的に山本文緒の本が補充されていたような気がする。なんだかんだ、その店であらかたの著書は手に入れたように記憶している。
 
本屋大賞のノミネート作で、表紙も印象的で、タイトルがかっこいいので、どういう話なのかと身構えていたのだが、読んでみるとちゃんといつもの山本文緒だった。道具立てが少し違うだけで、そこで生きている人々はちゃんと山本文緒の世界観だった。


 
とはいえ、読んでいてスカッとするような話は少ない。むしろ、どちらかというとジメジメした話を書く作家だ。

主人公は、いわゆる「良い人」である。しかし、実際は無自覚に自己中心的な考え方をしており、八方美人で中身がなく、狭量で、思いやりに欠け、人間性が薄っぺらい。

山本作品にはわりと頻繁に出てくるタイプの主人公なので、エッセイなども合わせて読む限り、おそらく山本氏自身が強く投影されたキャラクターなのだろう。

主人公はファッションに関心があり、おしゃれである、ということが多かったりもする。しかし、その着飾った自分の薄っぺらさを作中の登場人物に看破され、一悶着あったりする。まあ、詳しくはネタバレになるのであまり深くは書かないけれど。
 
僕は、「深い洞察」とは、いわゆる解像度のことだと思っている。色彩と言い換えてもいいかもしれない。

世の中の人物を、「黒か白か」で分類するのは洞察が浅い。同じ黒と白でも、そのあいだにはグレーという色があり、しかもその濃淡が100段階ぐらいに分解できる、というのが「深い洞察」だと思う。

山本文緒のすごいところは、「八方美人で、薄っぺらい人間」を描くのがべらぼうにうまい、ということだ。完全に悪意をもって書いているわけではなく、実に見事な解像度で描き切るので、「いやなやつ」にも「いいやつ」にも見えない。

アマゾンの書評を読んでも、「主人公は好きになれない」というコメントがありつつも、「だから作品がダメだ」ということにはなっていない。「好きになれない主人公」を見事に描き切っているのだ。


 
小説の主人公は共感を持たれるべきか、という命題がある。答えは「自由」で、別に無理して共感してもらう必要はない。しかし、一般的には共感しやすい人物のほうが物語に入り込みやすい。

ものすごい解像度で書かれた人物像は、「こういう人いるよね」ということを喚起させるので、「読ませる力」をもっている。さらにいうと、「自分の中にも、こういう要素ってあるよな」ということを思い起こさせる。それが「小説のもつ力」なんだろうな、と。
 
おそらく、この圧倒的なリアリティは、作者自身を描いているから、ということになるのだろうか。その意味では、「パンツを脱いでいる作家」とも言える。

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