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ひとはそれほど図々しくなれない

最近、芸能人の自殺のニュースが多い。

芸能界には完全に疎い僕だけれど、話題性が強いので、ニュースなどでどうしても目に入ってくる。「え、なんであの人が?」という人が多いらしく、インパクトが強いらしい。

たしかに、どこかで名前を聞いたことがある方が多いような気がする。
 
偶然、YouTubeでホリエモンがそのことについて言及している動画を見た。お悔やみの言葉を述べたあとで、けっこう、フラッと自殺してしまう人はいる、ということを話していた。仲間と楽しくお酒を飲んだあと、家にひとりで帰った時に魔がさして、というような人は、そこまで珍しくない、と。

どうも、軽度のうつであれば、本人にも自覚症状がないため、そういうことが往々にしてあるようだ。たまたま芸能人という目立つポジションの人だと世間からもフォーカスされやすいけれど、けっこうこういう人っているのかな、と思う。

村上龍の「オールドテロリスト」という小説に出てくる一節で、妙に引っかかっている部分がある。「人はそれほど図々しくなれない」というフレーズだ。

「図々しくなれない」というのは、いまの時代を象徴しているなにかを、うまく切り取っているように思う。気分が落ちているときに、人に当たり散らしたり、人を傷つけたり、ものを盗んだりする人は、現代では少ないのではないかと思う。

むしろ、現代社会で普通に生きているだけで、「図々しさ」がなければ生きづらいので、そこに息苦しさを感じ、もっと「優しい世界」を求めている人が多いような気がする。

人と戦ったり、何かを奪ったりするゲームよりも、「どうぶつの森」みたいな平和なゲームが大ヒットしているのも、きっとそういう背景があるのだろう。人を裏切ったり蹴落としたりするドラマよりも、日常系のアニメとか、ダラダラしたYouTuberの日常の動画が増えているのも、そういう心理が働いているのかもしれない。

図々しくなくても生きていける世界、そういうのをいまの人は求めていたりして。
 
ホリエモンはYouTubeの動画の中で、「自殺するぐらいなら、薬でもなんでも処方してもらって、そういうのに頼るほうがいい」ということを言っていた。

精神安定剤ぐらいなら依存症にもならないから、と。まあ、そういう傾向にある人に対しては、たしかにそうかもしれない。

本当に深刻な問題に直面したときは、人間はあんがいそれに立ち向かうのではないか、と思っている。

「なんとなく不安」「なんとなく先が見えない」、正体不明で、長期的な閉塞感のほうが、もしかしたら、長期的には心を蝕むのかもしれない。
 
「世間の雰囲気」というと抽象的だけれど、世界から元気がなくなるとき、同時に気分が落ちる人も増えるのだろう。

元気の出る方法は人それぞれだとは思うのだけれど、元気をだして、やっていきましょう。

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