「黄泉比良坂にて」 #03

「今からってなあ……工藤、どうする?」
 工藤はへらへら笑っていて何を考えているのかわからない。おそらく、何も考えていないに違いない。
「怖いの?」西川原は今度は明らかに挑発的に微笑んだ。もしかすると、けっこう笑顔のバリエーションがあるのかもしれないな、とおれは思った。
 おれは一瞬、顏に血がのぼるのを感じ、顏が赤くなったことがバレないように、顏をそむけた。西川原はショートカットの髪を揺らして、頬杖をつき、黒目がちの眼でこちらを見ながら微笑んでいる。
 西川原のそんな表情にイラついたのは事実だが、不覚にも、そんな西川原が可愛い、と思ってしまった。おれは首を横に振って、それを打ち消した。
「そんなに大したところじゃないよ。登山道だって、階段とかあるちゃんとした道なんだから。三十分ぐらいで登って、神社を参拝して、帰ってくるだけ。受験祈願。簡単でしょ? ビビるようなことじゃないよ、清水くん」
「まあまあ、季節外れのちょっとした肝試しってことでいいじゃないか、清水くん。じゃ、おれたちテスト出してくるから。西川原も、もういいだろ? 自転車置き場で集合な!」
 工藤は西川原の答案用紙を掴むと、強引におれの肩を組み、そのまま教室の外までおれを引っ張っていった。
「何考えてんだよ」
 教室を出て、階段を降りながらおれは工藤に文句を言った。
 階段の踊り場で、工藤は真剣な表情で振り向いた。
「まあ、聞け。よく考えてみろ。こんなチャンスは滅多にないことなんだ。肝試しだろうが何だろうが、おれたちの行動する先に、女がいたことがあるか?」
「それは、まあ……ないけど」
「確かに西川原があんなに不思議ちゃんだったのは想定外だった。いや、もちろん、ちょっと変わっている、というのは知っていたわけだがな。しかし、ここに重要な事実がひとつある」
「重要な事実」
「西川原は可愛い」
「ううむ」
「否定できるか?」
「できません」
「ようし、いい子だ」
 工藤は階段を駆け下りながら言った。「もうひとつ、重要な事実がある。おれたちは、十七歳、高校二年生だということだ」
「それがどうかしたのか?」
「十七歳の女の子と山に出かけるチャンスは、これからの人生において、飛躍的に減少することが予測される」
「馬鹿か」
「いいや、これは間違いない事実だ。おれたちはこの冬を超えたら三年生、完全に受験生モードに突入するだろう。来年の今頃は、こんなことを考えている余裕などあるはずがない。それを超えたらもう大学生だ。つまり、成人する。未成年の女子と遊びに出かけるなんていうことは、現実的に難しくなる」
「お前は大バカか、天才のどっちかだと思うよ」
「安心しろ、お前は一時間後には、おれの行動に感謝し、おれが天才であることを認めるだろうから」
 おれは何も考えないことにして、職員室に向かった。

(つづく)


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