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本を読む目的は「知識をつけるため」ではない

基本的に毎日読書の時間を取るようにしている。といっても、確保できる時間は結構まちまちで、一時間ぐらいとれる日もあれば、15分ぐらいしか取れない日もある。

最近は趣味も増えたため、読書に割く比重はちょっと下がってしまった。でも基本的には毎日何かしらを読むようにしている。

本を読む目的は、「知識をつけるため」ではない。「ものを考えることを止めないため」である。なので、実は書かれている内容はそんなに気にしていなかったりする。

たぶん一生役に立たないであろうことが書かれているような本も読む。それをきっかけに、自分が今まで考えたこともないことを考えられるようになるからだ。

そもそも「本を読み続けること」自体に意味がある。ランニングの習慣のように。短期間で狂ったように集中して一万冊の本を読んだとしても、その後の人生で全く本を読まなければ、脳がにぶってしまう。

一万冊の本を一気に読むのではなく、毎日少しでもいいから時間をとって「読み続ける」ことが大事なのかな、と思っている。

「ものをつくること」でも似たようなことが言えるかもしれない。僕はこのnoteの記事を毎日書いているわけではないが、基本的には毎日書くように心がけている(更新自体は途切れさせずに毎日行っているが)。

最近はストックが結構あり、常に7〜8本はストックがあるので、更新自体には問題がない。が、それだけストックがあっても基本的には毎日文章を書くようにしている。

文章を書くことは「ものを考えること」と同義だからだ。これはエッセイに限らず、小説でも作曲でも何でもそうなのだけれど、毎日少しの時間をとって、そういった活動に充てることにより、脳は常に活性化するのでは、と思っている。

本を読んだり、映画を見たり、音楽を聞いたりすることは、自分以外の何者かが作ったものを自分の中に取り込むということである。つまり、他人のアイデアを自分の中に取り込み、新しい自分に生まれ変わる、ということだ。

常に新しい自分に生まれ変わり、新しくなった自分がさらに新しいものをつくる。いかにインプットとアウトプットのサイクルを回していくか、ということにかかっている。

そうなってくると、「ものをつくる」って一体なんだろう。例えば何か作品を書いてほしいと依頼されたり、こういう賞に応募しよう、みたいなことでちょっと意気込んだりすると、「オリジナリティ」というものを考えたりする。自分にしか作れないものを作ってやろう、と意気込むのである。

しかし大抵の場合、そうやって意気込めば意気込むほどうまくいかない。むしろ、オリジナル要素が強すぎると人から共感を得られにくくなってしまい、求められているものとは正反対の方向に突っ走ってしまうことも多い。

でも、だからといって「世の中ではこういうものが流行ってるから流行りに乗っかろう」という考えも良くない。そういった下心は受け手には伝わってしまうからだ。

「受け取ったものを、自分なりに解釈・加工して、次の人に渡す」と思えばいいのではないだろうか。いま市場でこういうのが受け入れられているからこういうのを作ろう、という発想ではなく、「自分はこういったものを見て育ってきたから、こういう形にして次の人に渡そう」ということである。

インプットで大事なのは「刺激を受ける」ことだ。別に刺激を受けもしないのに、いま世の中でこういうのが流行ってるからみたいな形で安易に流行り物を取り入れると、とたんに薄っぺらいものになってしまう。

完全にオリジナルのものにこだわるのではなく、自分がいいと思って刺激を受けたり、これには負けないぞと正反対のものを作ったりと、何らかの形で刺激を受けることが大事ということだ。

「ジョジョの奇妙な冒険」というユニークな漫画がある。かなり個性的な絵柄と内容の漫画で、ほかのどの漫画とも似ていない。しかし連載当初は「北斗の拳」みたいな絵柄で、内容も、ちょっと北斗の拳っぽいところがあった。

その後、ミケランジェロの彫刻などの西洋美術の要素や、海外のファッションなどを取り入れ、独自のスタイルを絵柄を確立していったが、割と何をリスペクトしてるのかがわかりやすい作家だと思っている。

昔のインタビューで横山光輝の「バビル2世」を「影響を受けた漫画」として挙げていたが、いろんな作品から刺激を受けてものを作ってこられた方なんだろうなと思っている。

荒木飛呂彦が「バビル2世」に影響を受けたからといって、「バビル2世」がジョジョよりも面白いかというと、必ずしもそうとは言えない。その作品に刺激を受け、荒木飛呂彦の「ジョジョ」という唯一無二の作品が出来上がったのである。

何かに刺激を受けるというのはもちろん悪いことではなく、それをきっかけにして、新しいものが生み出されていくことになるのだ。

オリジナリティーを追求しようとして、何の刺激もないゼロのところからものを生み出すと失敗しやすいというのはそういうことなのかもしれない。

自分にとって何かトリガーとなる作品を見据えて新しいものを作っていくっていうのが大事なのではないかと思う。それが作り続ける、考え続けるということにつながってくるのだろう。


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