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「黄泉比良坂にて」 #12

「ここから、警察に連絡をとる方法はありますか?」西川原がすぐに次の質問をする。頭の切り替えが早い、とおれは思った。だが男の表情は変わらず、無表情のままだ。
「ここからは無理だよ。街のほうへと出ていかないと駄目だな。少なくとも、電波の届くところまで」
「この道路をまっすぐ行けば、街に着くんでしょうか?」
「いいや、この道を行っても街には着かない」
「どうしてですか?」
「道が曲がりくねっているし、分岐が多いから、ただこの道をまっすぐ行くだと、迷うだけだろうね」
「道を教えて頂けますでしょうか?」
 男に対して一歩も引かない西川原をみて、おれは、すごい、と単純に思った。
「教えることはできるが、途中で迷ったりしても知らないぞ」
「わかっています」
「じゃあ、少し……中で話そうか」
 男はそう言うと、こちらの返答も待たずに、玄関へと通じるフェンスの扉を通り、家のドアを開けた。片足でドアを押さえた状態で、こちらを見ている。西川原がすぐに彼のあとをついてドアに近づいた。そのあとを追うようにして、おれも家の中へと入った。
 今までずっと薄暗い場所にいたせいで、家の中の明るさに目を細めた。外観と同じく、まだ新築の新しい家のようで、置いてあるものも少なく、やや殺風景だ。下駄箱の上に、安物の額縁に入れられた山の写真と、芳香剤が置かれていたが、むしろそういった安っぽいもののせいで余計に殺風景に見えるのかもしれなかった。男は履物をきちんと揃えてから玄関をあがり、すぐ右手にある部屋へ入っていった。続いて西川原がローファを脱ぎ、綺麗に揃えるのを見て、おれも同じようにした。
「お邪魔します」
 男の入っていった部屋に声をかけた。おかしなことは今にはじまったことではないが、それにしても変な気分だ。見ず知らずの、名前さえも知らない人の家に入るのははじめての経験だった。どの家にも、その家独特の匂いがあるが、この家は新築のせいか、あたらしい家の匂いしかしない。その匂いがおれを現実的な感覚へ繋ぎ留めてくれていた。
 玄関のすぐ脇の部屋がリビング兼ダイニングになっているようだった。こちらの部屋は物がたくさん置いてある。入り口の向かいの壁沿いに電子ピアノ、小さな本棚、大型のテレビが並んでいる。部屋の右手には、カーペットの上に低いテーブル、三人掛けのソファ、部屋の左手にダイニングテーブルがあり、その奥がキッチンになっていた。
 男はダイニングの奥の席に座った。さすがの西川原もそのままずかずかと部屋に入り込んだりはせず、部屋の入り口で立ち止まっていた。おれが後ろから小突くと、「お邪魔します」と彼女は声を発し、部屋の中へと足を踏み入れた。
 部屋に入ると、キッチンに一人の女性がいることがわかった。女性は、こちらに初めて気がついた、というふうに少しだけお知らせに目を見開いたとあと、あら、いらっしゃい、とショートカットの髪を揺らしながら言った。彼女もジーンズにTシャツというとてもラフな格好だった。
 西川原は男の正面の椅子に腰掛けた。おれもその横に座った。
「はじめに訊いておこう」と男は口火を切った。
「なんでしょうか」西川原が言う。
「君たちが行方がわからないと言っている友達は、ひょっとすると髪の長い、天然パーマの男の子のことじゃないか?」
 工藤のことだろうか、と、一瞬、おれは思った。西川原も同じことを思ったはずだ。
「そうです」おれは西川原が口を開く前に答えた。
「その子なら、さっきまでここにいたよ。君たちと同じように、帰り道を聞きにきた。そして、彼は、もう出ていった」
「え? そんなはずは……」
 西川原はそう言ってから、しまった、というふうに口元を押さえ、こちらをちらりと見た。
「彼は、君たちのことも少し話していたから、じきに来るんじゃないかと思っていた」
「そんなはずはありません」西川原はきっぱりとした口調で否定した。「私たちは、彼を置いてきたんです」
「その彼は、工藤くんっていう子なんじゃないか?」と男は言う。「そして、君は西川原さん。そっちの君は清水くん」
 息をのんだ。おれたちはまだ名前を名乗っていない。おれたちの名前を知る方法はないはずだ。

(つづく)


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