「黄泉比良坂にて」 #07

 しばらく、呆然と立ち尽くしていた。
 工藤がどこかに消えた。工藤はさっきまで、崖の淵に立っていたから、地震の揺れで、下に転落したのだろうか。だが、悲鳴も何も聞こえなかったし、崖の下を見ても工藤はいなかった。
 一瞬で頭が真っ白になり、パニックに近い状態になった。
「どうしよう」
 西川原はいつの間にかおれの隣に立っていた。
「落ち着いて。工藤くんは転落したとは限らない。そうでしょ?」
「あそこに立ってて、転落してないってことがあるか? 他にどこに行くって言うんだよ?」
「それでも、憶測でものを判断するのは危険だわ。あなたは工藤くんが転落したところを見たの?」
「いや、それは見てない」
「実際に転落している工藤くんは?」
「それも」
「じゃあ、証拠は何もないわけよね。工藤くんはなぜかここからいなくなった。そして、なぜか、お地蔵様の数が増えた。それが確認できる、事実」
 それは確かにそうかもしれない。だが、そんなことを確認して、一体何になるだろうか?
 しかし、妙に落ち着いた西川原の口調を聞いていると、そんな当たり前の事実を確認しただけで、何か物事が少し前進したような、そんな安心感があった。
「もうだいぶ暗くなってきているし、二人だけで工藤くんを探すのは危険じゃないかしら。いったん山を降りて、人を呼んでくるのが一番いいと思う」
 西川原は冷静に言った。
 おれは一応、ポケットから携帯を取り出して、画面を呼び出した。だが、ここに電波は届いていないようだった。
「わかったよ」
 おれは階段のほうへと駆け出した。
 だが、西川原は動かない。
「何やってんだよ、西川原!」
「待って」
 また静かな声で西川原は言った。視線は、崖の上に立つ地蔵のほうを見つめたままだ。
「また、増えてるの」
「増えてる?」
「さっきまで四体だったでしょう? それが、六体に増えてるわ」
 崖の上に目をやると、西川原の言う通り、先ほどあった四体の小さな地蔵に加え、少し大きな地蔵が二体、加わっている。今度も見間違えようがない。信じられないことだが、地蔵はもとからそこにあったかのように、堂々と鎮座している。
「……視線を外してから、もとに戻すと、いつの間にか増えているみたい。目を離さないほうがいい、ってことなのかな」
 西川原はほとんど動揺していない。おれは地蔵に取り囲まれるイメージがまっさきに浮かんで、パニックを起こしそうになった。
「じゃあ、どうすればいいんだ」
「このまま、後ずさって離れたほうがいいわ。あたしは後ろを見てるから、清水くんは前を見て」
 そう言いながら、西川原は後ろ向きに歩き始めた。おれと西川原は背中合わせに、少しずつ階段のほうへと進んでいく。
 おれの見ている前方は特に異常なものは見当たらないが、だいぶ薄暗くなっていて視界が不明瞭だ。階段のほうまでは遠くて見通せない。だが、だんだん階段が近づいてくると、背筋が凍りついた。
「西川原!」思わず叫んだ。
「何?」
「階段が、ダメだ。階段が使えない。取り囲まれている」
 西川原は何も答えなかった。不意に彼女は歩みを止めた。気付くと、横からも地蔵に取り囲まれている。こちらが停止し、視線を固定すると、すべてが凍り付いてピタリと止まる。しかし、こちらが少しでも視線をそらすと、風景が変わっている。目を瞑ってもいけないのかもしれない、とおれは思った。これじゃまるで、「だるまさんが転んだ」だ。
「よく見て」
「え?」
「お地蔵様を、よく見て。何か気づくことはない?」
 おれは言われたように目をこらした。階段を埋め尽くすように地蔵がひしめいている。これといって、特徴と言えるようなものはない。ここに来るときに階段の横の崖にあった石像と、似たような感じだが、こちらにあるものはずいぶんと大型だ。


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