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宙吊りの安寧

交渉ごとがうまい人って、要するに「宙吊りの状態にいかに耐えられるか」、ということに集約されるような気がしている。

交渉というのはつまり、自分と相手の利益で折り合いがつかないから交渉しているわけで、宙吊り状態になるわけだ。もちろん、たいていの交渉ごとというのは、どちらかの立場が強いことが多いから(片方がお願いしていて、片方がそれを受けるかどうかという状態)、「譲歩」を多く差し出さなければならない側、というのはある。

それでも、なんとか交渉を続けて、互いの利益が最大になるように調整していく。それを粘り強くできる人が「タフネゴシエーター」ということになるのだろう。
 
たまに、熱意に押されて、「根負け」して、いいよいいよ、みたいになる交渉もある。

それは、押す側が熱意をもってやったから、というのはもちろんあると思うのだが、受ける側が、もうめんどくさくなって、「もうそれでいいよ」となってしまっただけの状態だ。

つまり、「根負け」というのは、その「宙吊り」の状態が嫌で、めんどくさくなるということだ。本当に魅力があって交渉に合意したわけではなくて、単に力技で相手を「降りさせた」ような状態だと言える。

だから、交渉ごとに強い人というのは、「宙吊りの状態にいかに耐えられるか」、ということに集約されると思う。

人は、この「宙吊り」が気持ち悪くて、嫌なんだと思う。仕掛かりの仕事がいくつもあって、終わっていないのが気になるのは、この「宙吊り」の状態だからだ。

交渉中の案件が5件も10件もあったら、かなり精神的にまいってしまうに違いない。もはや、悪くても良くてもいいから、はやく結果を出してしまいたい。でもそこをぐっとこらえて、じっと耐えることが大事なのかな、と。

受験がしんどいのは、試験の当日までは自分が「合格する」のか「不合格になる」のかわからないからで(当たり前だ)、少しでも可能性を高めるために、勉強せざるを得ないからだろう。

ここの努力次第で、結果が変わると思えば、努力せざるを得ない。その状態が、生理的に気持ち悪いのだ。

それと似たようなもので、答えの出ない問い、というのもある。数学者は、同じ数学の問題を何年も考え続ける。問題によっては、10年以上かかるものもある。

普通の人だったら耐えられないけれど、数学者だって、「答えを出すためだけ」にやっていたら、たぶん耐えられないに違いない。
 
数学者が数学の問題に何年もかけて取り組めるのは、きっと「宙吊り」の状態に慣れていて、それを楽しむことができるからなのではないかな、と。

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