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複雑な現実に立ち向かうために

科学は、「物事を単純化して理解していく」のが基本だと思う。

学生のときの物理の問題で、「摩擦がない床」とか「空気抵抗のない空間」などがよく出てきたが、そんなものは現実には存在しない。しかし、摩擦だとか空気抵抗だとかを考慮しはじめると、計算が複雑になりすぎるので、まずはいったん大胆にあらゆる要素を無視して、ベーシックな部分の力学の計算をする。

それらが完璧に理解できるようになってから、摩擦だか空気抵抗だかを理解していけばいいのだ。
 
一方で、医学などはなかなか単純化することが難しい。人によって個体差がありすぎるし、いろんな要素が複雑に絡み合っているからだ。

医学や薬学の研究では、(少なくとも現代では)堂々と人体実験することも難しい。不幸にも事故などによって特定の部位を損傷した人に協力してもらって研究を進めることもある。

しかしそれによって得られた研究成果が、すべての人に普遍的に言える知見かというと、必ずしもそうともいえない。被験者固有の現象であるかもしれないし、ほとんどの人には有効でも、例外的に効かない人がいるかもしれないからだ。

そういったことを、地道に調べていく必要がある。
 
複雑なことを、単純なものに分解して理解する。それはどんな勉強や研究でも同じだ。単純なモデルで理解してから、徐々に現実世界に近づけていく。

現実に近づけば近づくほど、さまざまな要素が絡み合い、予測が困難になる。この現実世界を正確に予測することは、ほぼ不可能だろう。

誰が2020年がこんな世の中になると予測できただろうか?

一方で、複雑なことを、複雑なままに理解する、ということもある。

いや、この場合は、本来的な意味での「理解」ではないかもしれない。「原理はよくわからないが、結果が予測できる」という意味だ。

医学は、どちらかというと、こういうものが多い分野かもしれない。「仕組みは不明だが、これを飲むとよくなる」といったものは、たくさんあるに違いない。
 
「考えるよりも行動しろ」という言葉も、もしかしたらこれに近いのかもしれない。論理的なことをあれこれと考えても、それは所詮、自分の頭の中のモデルで組み立てたことにすぎない。

とにかく行動すれば、なんらかの結果が得られる。その結果をみて、次の行動を決定する。複雑すぎる現実に立ち向かうためには、そうしたほうが効率がいいかもしれない。

「なぜそうなるのか?」の部分を考える、ということを放棄しているような気がしなくもないが……。

複雑な現実に立ち向かうためには、そのハイブリッドぐらいがちょうどいいのかな。

「物事をシンプルに考え、行動する」。それによって突破口が見えるようになれば、人生はもっと楽しくなるかも?

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