「黄泉比良坂にて」 #04

 テストの答案を出し終えると、急に胸が高鳴ってきた。今まで西川原のことを意識したことはないが、彼女が可愛いのはまぎれもない事実だ。だが、工藤と同レベルの思考しかできないことが悲しく、それを考えると急速にテンションが下がってきた。
 工藤と二人で靴を替え、自転車置き場に行くと、西川原が両手でカバンを前に抱え、おれたちを待っていた。
「遅いよ」と西川原は言う。おれと工藤は曖昧に頷いた。「こっちよ」
 西川原は歩き出す。おれと工藤はそのあとをついていった。
 夕方とはいえ、真夏の熱を残した太陽が、じりじりと焼き付けてくる。先を歩く西川原の肌は驚くほど白い。その肌が焼けてしまわないか、少し心配になる。おれと工藤にしたところで、部活をやっているわけではないから、男子にしては白いほうだが、それでも西川原ほどではない。
 学校の裏にある田んぼのあぜ道を超え、歩き続ける。学校の裏手を流れている大きな川まで出た。川沿いは砂利道になっていて、そこを無言で西川原は歩いて行く。
 しばらく歩くと橋が見えてきた。今にも崩れそうな、オンボロの橋だ。
 橋を渡ってすぐ、西川原は道路脇から伸びている脇道を指差した。「登山道に行くには、この道を歩いていかないといけないの。このまま車道をあがっていくと、そのうち土砂崩れになっていたところに出てしまうんだけど」
 脇道は普段は誰も人が通らないのか、少し草が茂っていたが、構わずに西川原は歩いて行く。おれと工藤は黙ってついていった。
 十分ほど歩いただろうか、山側の林の中に、黒ずんだ石の階段が見えてきた。
「お、ここから参道か?」と工藤が声を上げる。辺りは背の高い木ばかりになっていて、先ほどまでの田んぼの景色とは明らかに違っていた。あたりの空気が、きゅっと引き締まっているような感じがした。
「ここを上がっていけばいいだけ。簡単でしょ?」やはり西川原が先頭になって階段を上っていく。
「なんでこの場所、井上たちは気付かなかったんだろうな」と工藤が言う。
「車道を上がっていっちゃうとね、こっちに道があることに気がつかないんじゃないかな」と西川原。
「そういうもんか?」
「こんな目立たないところにある階段だからね。でももちろん、山を登るルートとしては、こっちのほうが古いよ、当たり前だけど。あっちの車道って、山の構造とか全く無視して作られたものだし」
「山の構造?」
「そう、山の構造」
「なんだよ、山の構造って」
「そうね、風水みたいな感じ?」
 おれは学校から見える山の様子と、間近で見るこの山の様子の違いに戸惑っていた。木々は鬱蒼と生い茂っているわけではないが、どれも背が高く、暗くて奥が見通せない。これなら、いくら車道が近いところにあっても、こっちの道は見えないだろうな、とおれは思った。
 工藤も森の奥のほうをじっと見つめている。西川原はそんなおれたちを無視して、階段を上って行く。おれと工藤は黙ってついていった。
 登り始めると気分が変わった。途中でおれと工藤は西川原を追い抜き、ふたりで競争するように階段を駆け上っていった。ときおり後ろを振り返り、西川原がちゃんとついてきているかどうかを確認した。登り始めてみると、登山というよりは、普通の神社の参道のようだった。しばらくあがっていくと急に石段がなくなり、岩肌が露出しているところが目立つようになった。
「おい、見ろよ、あれ」
 工藤が階段脇を指差した。工藤が指差した先には、巨大な岩があり、その表面に無数の像が彫られていた。人形ほどの大きさの、小さな像だ。地蔵だろうか。長い年月を経て水が岩肌を削ったのだろう、どの像も顏が消失している。それはどこか寂しさを湛えていて、こののどかな夕方の山道においては、穏やかな情緒を感じさせるものだった。
「いったいどれぐらいの人がここのことを知ってるんだろうな?」と工藤が言った。
「昔はね、けっこう地元の人が参拝に来ていたみたいよ。この地域で農業をやったりしていた人たちは、ここに登って、豊作のお願いをしたのよ」
 西川原は息を切らし、額にはちょっぴり汗をかいている。普段見れないそんな彼女の姿は、なんだか新鮮だった。
「登ってみたら大したことないな。でも、ふもとがあんなに遠い」
 おれはふもとを見下ろしながら言った。そんなに高いところに登って来た実感はないが、しかし、はるか遠くのほうまで見通せるほど広々とした空間が広がっていた。ただ、ここから学校は見えなかった。

(つづく)


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