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伸び縮みする時間たち

年間で読む読書量を管理している。

2011年から、「読書メーター」というサービスを利用しており、いちおう読んだ本はすべてそこに感想つきで登録している。

こないだ、登録した本の冊数が1000冊を超えた。そんなに読んだのか、と少しは思ったが、まだそれだけしか読んでないのか、というのが率直な感想だ。
 
ただ、計測してみるとけっこう奇妙なことがわかる。年間で読む読書量が、ほとんど変化していないのだ。

だいたい年間で120冊から140冊。ほぼ例外なくこのレンジにおさまる。
 
僕の仕事量は年によってだいぶ違う。特に、新卒で入った前職はヤバかった。一ヶ月まるまる休みがない、なんてことはざらだったし、最後の年は、2連休をとれたのが年間で2回だけだった。けっこう壮絶な職場だったといってもいいと思う。

しかし、そういう環境にあっても、僕は年間で120冊ぐらい、本を読んでいたのだった。どこにそんな時間が、といまとなっては訝しむばかりなのだが、当時僕は父から譲ってもらったけっこう渋いボルボを自家用車として所有しており、会社にいつも一時間ほど早く行って、近くのローソンの駐車場に車をとめて読書をしていたのだ。

皮張りのシートだったので、喫茶店や、自宅なんかよりもよっぽど快適だった。なんだ、その無駄な優雅さ。

その頃、「貧すれば鈍する」という言葉を呪文のように唱えていた。どんなに忙しくても、読書の時間だけは死守しようと思っていた。

本は世界の窓だ。日常に忙殺されれば、人生は、刹那の忙しさの中に埋没してしまう。ときに立ち止まり、人生の意味について考え、宇宙の外側に思いを巡らす時間も必要だ。

日々の忙しさの中にいながらにして、その外側から俯瞰することも大事だと思っていた。その考えは、いまでも変わっていない。
 
いまは、当然のように週末は休みだし、祝日だって休みだ。まさか、そんな世界が実在するなんて、思ってもみなかった。2連休が2回しかとれなかった頃なんて、もはや想像もできない。

ゴールデンウィークはまるごと休んで、いまは有給休暇をぜんぜん消化していないことを人事に指摘され、強制的に有給をとらされている。

なんだこれ。いつ仕事してるんだ。すごい。
 
しかし、僕の読書量は、過処分時間に比例して増えていない。いまのように、湯水のように時間が使えても、読書時間がどうも確保できていないのだ。

ほんらい読書に使うべき時間を、YouTubeの視聴とか、ツイッターとか、そういったどうでもいいことに浪費してしまっている。我ながら情けない。

時間は伸び縮みする。もしも、充実した日々の送りたいのであれば、時間は「足りない」ぐらいが望ましい。本気でそう思う。

「時間は余裕をもって行動しなさい」、そう刷り込まれて大人になると思う。しかし、本当にそれはベストだろうか? 

僕はそうは思わない。時間やお金は、足りないぐらいでちょうどいい。

それらは、伸び縮みするものなのだから。

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