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なぜ日本人はIQと偏差値が好きなんですか?

おそらく誰しもが馴染みがあるであろう統計指標に「偏差値」がある。

日本の受験産業などで当たり前のように使われている概念ではあるが、偏差値についての具体的な説明はあっただろうか。なんかぬるっといつのまにかそういった概念が受験での指標として使われているのだけれど、それが何であるかは誰もあまりよく理解しないまま使っているような気がする。

偏差値50がちょうど真ん中だよ、というのはとりあえず教えられる。つまりそこが中央なのだから、世の中の半分は当然50以下になるのだけれど、「偏差値50を切るとやばい」みたいな風潮もあって、不思議だな、と。偏差値70を超えるとすごい、みたいな感じではあるが、どの程度すごいのかはあまりよく認識されていない気がする。

受験においては、受験者の学力の分布は正規分布をとることが多い。中央の50付近が一番人数が多く、そこから離れるほど人数が少なくなる。ちなみに、偏差値69は上位3.5%に該当し、だいたい29人の集団でトップぐらい。つまり、クラスで一番成績が良い人ぐらい。偏差値73で上位1%なのだそうだ。東大とかはこれぐらいだろうか。



偏差値は、とても大きな集団のなかで「自分がどの位置にいるのか」を知るのには確かに適している。しかし、大学受験をする高校生はとても大きな集団の中で競い合うが、いったん社会に出ると、各々が細分化されたそれぞれの業界に飛び込んでいく。むしろ、細分化された業界の中で「1位を目指す戦い」になる。ルールが変わるのだ。

どんな分野でも1位になるというのは大変なことで、もはやそこまでいくと偏差値では表現できないというか、偏差値で表現する意味もなくなってくる。戦場がそれぞれ違うからだ。

なので、いい大人なのに出身大学を気にしていたり自慢したりする人がいると、なんかみっともないな、と感じたりする。そんなゲームが変わる前のことを自慢していても仕方がないのに、と。

知能指数が上位数%の人間だけで構成されているMENSAという組織があるらしい。「MENSA会員」というのを自慢している人をたまに見かけることがある(リアルではなく、主にネットでだが)。

なんでもいいのだけれど、条件が「IQ上位数%」というのがなんともいやらしいな、と。

世界の上位10人とか、各分野の1位だけとかでもいい気がするのだが、それだとメンバーにはなかなか入れない感じがするから、「上位数%」なのだろう。指標が「IQ」だけなのであれば、なんか似たような人たちの集まりになりそうな気がするけれど。

日本人が好きな指標に「IQ」があると思う。とはいえ、IQテストというのはそんなに頻繁に行われるものではないから、みんな自分のIQがどれぐらいか、というのはあまり知らない人が多いのではないだろうか。僕も自分のIQがどれぐらいなのかは知らない。きっとあまり高くはないのだろうなとは思っている。

知能を数値化することは可能だろうが、IQによって測れる知能は、人間の知能のうちのごく一部にすぎないはずだ。また、IQテスト対策をすれば、それだけであがるだろう。数値で一元化するということは、相当乱暴なことをしているに違いない。

たとえば将棋は知的スポーツの側面があり、プロ棋士ともなれば相当知能指数が高そうだが、トップ棋士の一人である渡辺明のIQは日本人の平均ぐらいだ、というのをこないだ知った。IQの高さと知能の高さは相当な相関関係がありそうだが、思ったよりもあてにならないな、と。

日本人はたぶん、数値化して人と比べるのが好きな国民性なのだろう。なんでそうなのかはわからないが。偏差値文化に慣れ親しんでいるからそうなったのか、そういう国民性だから偏差値文化が馴染むのか。

「集団」に属するのが好きな国民性なのかも。そして、「集団」に属すからには、他の集団よりも優秀な集団でいたい、と。だから、「偏差値」といった指標をあてにする。オンリーワンを目指してはいないらしい。オンリーワンは孤独だからだ。

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