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科学が破壊していったもの

このまま科学が進歩していくと、そのうち小説、というか文学はなくなっていくのだろうか、とふと思った。

それはchatGPTなどの生成AIが小説を書くようになるからという意味ではなく、純粋に「小説というものが成立しにくくなる」んじゃないか? と思ったのだ。

わかりやすいのはミステリである。作中で殺人事件が起きる。警察の分析能力は当然ながら年々進歩しているので、昔は「完全犯罪」だったことが、いまでは成立しない、ということがあるかもしれない。

ミステリの古典などを読むと、どうも警察の捜査が甘い感じがするというか、そんな感じでいいの? と思うことがある。いまの捜査は頭を使って推理するという部分ももちろんあると思うのだが、科学分析能力が発達しているので、物的証拠を追求していくだけである程度は真相解明できるのではないか、と思う。

まあ、そういったフィクションのミステリに真実味を求めすぎるのはそもそも野暮だという考え方もあるが。

それでも、昔と比較するとドラマが成立しにくくなる、ということはあるだろう。たとえば海外の貧乏旅などをテーマにした読み物なども、いろんなすれ違い、トラブルがあるから話が盛り上がる。

いまはインターネットがあるので、極端にいえば外国に行ってからいろいろ調べても十分間に合うし、Googleマップを使えば迷わないし、翻訳アプリを使えば困ることがない。これは僕の大学生ぐらいの頃と現在では隔世の感がある。今なら、世界のどこにいっても基本的にはなんとかなるだろう。

だいぶ前に読んだのでうろ覚えなのだが、吉川英治の小説「宮本武蔵」で、武蔵とお通という女性の恋愛が描かれるのだが、物理的に離れているため全く意思疎通が図れず、いつもすれちがってしまう。そういうドラマも、スマホがある現代だとそもそも成立しにくいだろう。

まあ、そんな便利な現代でもコミュニケーションのすれちがいというのは常にあるものなので、ひょっとしたらそれほど関係ないのかもしれないが。しかし、自分の高校生の頃にはあった「CDの貸し借り」とか、そういったコミュニケーションの方法というのはいまでは全くないんだろうし、形が変わったのは確かだろう。

要は、科学はいろんな分野の認識を変えていく、ということなのだと思う。

科学の進歩によって一番影響を受けたのは宗教だろう。大昔は、宗教がこの世の森羅万象を説明していた。何か自然現象が起きたり、天災が起きたりしても、基本的には全て神のしわざということになっていた。

科学という仕組みを人間が作ったことで、森羅万象を要素に分解して、ひとつひとつ検証していくという方法に変わった。それにより、宗教的な説明でなくとも原理が説明できるものが増え、宗教の守備範囲はだいぶ狭くなったのではないか、と思う。

しかし、それだけ守備範囲が狭くなっても、その本質の部分というか、最も重要な部分が変わらない、というのはある。科学がどれだけ進歩しても「そもそも宇宙はどうやってできたのか?」「誰が作ったのか?」「宇宙の外側はどうなっているのか?」といった質問にはなかなか立証できる形で答えられないので、最終的には宗教的な説明をするしかなくなる。

そういう意味では哲学もそうだろう。文学も、科学が進歩するごとに守備範囲が狭まっているのだろうか。だとすれば、それでも残るものが「本当に大事なもの」だといえるかもしれない。

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