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Lemonを聴きながら、「戻らない幸せ」について考えた夜

同情して欲しくて、書いているわけではありません。文章を書くこともおこがましいと思っています。そもそも文字にすることが正しいのかもわからず、正直迷っています。それでも、わたしにとって大きな出来事で、前に進むために書き記します。

大学時代、一番お世話になった先輩が、先日他界されました、急死だったそうです。

大学一年生の時からすごくお世話になっていてとても慕っていた方でした。その人のおかげで、今の自分があるとっても過言ではありません。それだけ自分に大きな影響を与えた方でした。

知らせを聞いたとき、衝撃的すぎて、道の真ん中でぼうっとしていました。

この世に存在されない、という事実が信じられなかったし、いや、今でも信じられません。
今週は心のそこがどこかふわふわしていました。
そんなこの1週間、感じたことが二つありました。

1)生きていることは死と向かい合わせである

最初に考えたのは、先輩は何を思って他界されたんだろうということです。
「後悔されなかったかな、やり残したことはなかったのかな」そんな問いが頭の中をぐるぐるしています。

当たり前ですが、生きている限り、寿命には限りがあります。「まだ20代」と思っていましたが、「まだ」というのは自分の寿命を勝手に設定している見方であることに気づきました。

生きている限り、いつでも死と向かい合わせだし
自分もいつ他界するかわかりません。だからこそ、いつ他界しても「やりきった!」と言えるよう毎日を大切にしたいです。

2)「いつか」は後悔の元
大学時代、なんども夜通しで話を聞いてくださった先輩。何かあったら駆けつけてそばに寄り添ってくださった先輩。いつも、たくさんの問いかけをしてくださり、考える機会をくださりました。大学時代はお世話になりっぱなしでした。

「いつか立派な社会人になって恩返ししたい、成長した姿を見せたい」強く、思っていましたが、叶わぬ夢となりました。

いつ、どこで何があるかわからないからこそ、今伝えられる感謝の気持ちは、その場届けるということを大切にしたいです。

米津玄帥のLemonに「戻らない幸せ」という言葉があります。今週は、夜、なぜかずっとLemonを聴いていました。あまりにも、自分の心情とぴったりだったからです。

その先輩と過ごす一瞬一瞬が今、思えば戻らない幸せだったのだと思います。でも、戻らない幸せを自覚できるのは終わった瞬間。幸せが戻らないカタチになった時だけです。

自分はとても愚かな生き物だと思います。
どうして失ってから、初めて気づくんだろうと。

でも、わたしは今を生きています。なくなる前に、失う前に想いを言葉にできます。行動を起こして、今を変えることができます。だからこそ、その務めを全うしていきたいです。

拙い文章でしたが読んでくださり、ありがとうございました。先輩のご冥福を祈って。

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