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評価値が揺れ動くとき……

最近、将棋ばかりやっているので、ブログとして書く内容も将棋の内容が多い。また懲りずに、将棋について書いてみる。
 
将棋は小学生の頃、たまに親や同級生と指したりしていたのだが、ハマるほどではなかった。なぜ大人になった今、将棋熱が高まってきたのかというと、ひとえに将棋ソフトの導入が挙げられるだろう。指した対局を、ソフトを使って分析することができるのだが、これが面白いのだ。
 
いまの将棋AIは、盤面を「評価値」と呼ばれる指標で分析するものが主流だ。評価値が0だと完全に互角、300ぐらいだと先手優勢(ー300なら後手優勢)、数値が2000ぐらいになるとほぼ勝勢といったところだろうか。

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実際は評価値は5000以上の場合もあるが、2000以上になるとプロ同士の対局ならほぼ挽回は不可能なので、投了の対象となる。僕のように初心者の場合は、評価値が5000ぐらいあったとしても、「詰み」を見逃したり、し損ねたりすることが多いので、勝負の行方はわからない、というスリルを味わうことができる(上記の対局は、先手優勢だったのが、途中で大逆転して後手勝利で終わった例。相手に急戦をかけられたのでひどい内容だけど…)。
 
評価値が大きく揺れ動くとき、そこには必ず原因がある。自分の評価値がプラスになった場合、「好手」と判断されるが、逆に下げることになった場合、「疑問手」「悪手」と評される。実際にやっていくとわかるのだが、「好手」と表されるものの多くは、相手がポカミスをしてしまい、それに対してちゃんと対応できた場合がほとんどだ。

もちろんすべてがそうだとは言わないが、多くの場合、自分の実力というよりは相手からもらえたという「運の要素」がそれなりにあるのである。


 
将棋と現実世界はもちろん違うものだと認識しつつも、類似点を感じてしまうところはある。先のように、「好手」というのは自分でコントロールできるものではなく、単に転がり込んでくるチャンスをうまく拾えただけ。逆に、疑問手・悪手というのは、自分で勝手につまづいて転んだだけなので、明確に自分に要因がある。

また、評価値をぐんと削られるような手というのは、後先考えずに指した手で、「次に繋がっていかないような手」だ、ということもわかってきた。逆に、戦略をもって、次の手、次の手と生きてくるような手がいい、ということになる。
 
自分の座右の銘は、「貧すれば鈍する」だ。誰しもが、ある程度の余裕があるうちは正常な判断をすることができるが、余裕がなくなってくると、選択肢が少なくなり、精神の働きも鈍くなってしまう。

将棋はまさにそうで、劣勢になると、相手のペースで物事が進んでいくようになるので、こちらの選択肢がどんどん減っていき、最終的には詰まされてしまう。

そうならないためには、余裕があるうちに少しでも優勢に持っていくことが大切で、疑問手や悪手で持ち崩さない、という姿勢が大事だ。相手がミスをして、こちらに優勢が傾いたら、隙を突いて一気に崩しにかかるのもいい。


 
奥深いのは、疑問手や悪手の判定は、単に「損をしたかどうか」といった単純な話ではない、ということだ。たとえば、敵の侵入を許してしまったら、いつまでもそのことにこだわるのではなく、自陣の駒を見捨ててでも攻撃を仕掛けるのが「好手」であることもある。

守りは大事ではあるものの、守ってばかりでジリジリと追い詰められてしまうことは、「悪手」なのだ。
 
仕事などでも、複数ある選択肢のうち、つい「安全策」をとってしまい、事態がジワジワと悪くなってしまうことがある。将棋を通じて、「現時点の好手は何か」という視点を養っていければ、と思っている。

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