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「黄泉比良坂にて」 終章

 担架に寝そべったまま、周囲の様子を観察していると、とんでもない光景をおれは見た。おれたちがいたのは、確かに最初に登ろうとした山の山道のふもとだった。おれたちが登ってきたはずの、参道が、まるごと崖崩れのように崩れて、道が消滅していたのだ。土砂の隙間から、そこに参道があったという断片は見て取れる。そして、それを覆いかぶさるように、小さな地蔵がそこかしこに転がっていた。だが、おれたちが登った参道の山道は、さまざまな土砂や岩が覆い被さり、何もなくなっていた。
 そして、学校のあった方角を見て、おれは目を疑った。学校の周囲が、瓦礫の山で覆われていたのだ。木の破片があたり一面に折り重なるようにして散らばり、ボコボコになった車のシャーシが木造の建物に突き刺さっている。オレンジ色の服と、白いヘルメットをした男たちが、瓦礫をどけて、道を作ろうとしている。
「何があったんですか、これ」おれは救急隊員にそう言うと、若い隊員は、真剣な顔で一度だけ頷き、「今は何もしゃべるな」と言った。
 おれたちは車に載せられた。救急車か何かの車に載せられるのかと思っていたが、大きなバンのような車で、座席はすべて平らにされ、その中におれと西川原は運びこまれた。
 工藤は、スペースの都合で別の車になったようだ。しばらくするとドアが閉まり、車は発信した。おれは身体は全く動かすことができないが、頭は不思議なぐらいクリアになってきていた。
 そして、唯一自由に動かせる目で、西川原を見た。身体じゅうが泥だらけで、しかも肩から腕にかけては、おれと同じような真っ黒な痣に染まっていたが、それを除けば、綺麗な寝顔だった。車は、ゆっくりとだが発進し、時折思い出したように上下にはねる。しばらくじっと見つめていると、ゆっくりと西川原が目を開いた。
 おれと目が合っても、驚きもせず、とろんとしたような目つきをしている。意識が朦朧としているようだ。
「大丈夫か、西川原」
 おれがそう声をかけると、ほんのかすかに首を振ったような気がした。
「痛いか?」
 今度は、西川原は明確に頷いた。だが、そんなことは当たり前だ。おれたちは、『戻ってきた』のだ。多少の痛みぐらいは、どうということはないはずだった。
「あのさ」おれは西川原に話しかける。
「え?」
「この学校のさ、このあたりそのものがさ、境界線だったのかもしれないよな」
「……?」
「『こっち側』にいたから、おれたちは無事だった、だけだったりして」
 西川原はおれの目を見て、言った。「あなたは、大丈夫なの……?」
 おれは頷き、腕に力を入れようとして、だが全く力が入らず、芋虫みたいに身をよじらせた。
「腕の感覚がないけど、こんなの、大したことじゃないだろ、生きて、戻ってきたんだから……」
 西川原は、寝そべりながら、じっとこちらを見つめていた。
 瞬きもしない。
 こちらを見ているはずなのに、まるで別のものを見ているような目をしている。
 かすかな、怯え。
 おれが最初に、教室で話したときよりも、はるかに親しみのない視線だった。
「ところで、あなたは誰? ……わたくし、西川原なんていう名前では、ありませんけれど……」
 西川原は、どこかガラス玉のような、少し青みがかった瞳でこちらを見つめながら、そう言った。


(完)

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