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偏屈者、厄介者、誠実者

海外旅行の鉄則として、「向こうから声をかけてくるやつには警戒しろ」というものがある。

特に、空港で声をかけてくるやつは無視したほうがいい。日本語を話す人だったら、もう確実にこちらを「狩ろう」としている。

逆に、普通に街中で、「こちらから話しかける」ぶんには、そんなに危険性はなかったりする。

なんでもそうだが、「向こうからくるやつ」はなにかの目的を持っている。なんらかのメリットを期待して、こちらに声をかけてきているパターンが多いのだ。逆に、こちらから声をかけないと何も起きない人は、そうでもない。
 
第一印象ってとにかくあてにならないな、ということをよく思う。僕の場合、仲がいい人というのは、たいてい第一印象がそこまでよくないか、ほとんど印象に残っていない人が多い。

たとえば、新しい環境に行ったとき、一番最初に声をかけてくれる人は、なんらかの目的をもってこちらに声をかけている、ということがある。もちろん、その場のボス的な存在の人がこちらに声をかけてくれるということはあるのだが、その場における厄介者が声をかけてくるパターンもけっこうある。

僕が最初に就職したとき、一番最初に働いていたのはトラックのドライバーの現場だったのだが、最初の数ヶ月で声をかけてくれたのは、どちらかというとその営業所における「厄介者」ポジションの人たちだった。

もちろん、最初は誰が厄介者かはわからないのだが、だんだん時間が経つとなんとなくわかってくる。要するに、その営業所においては、誰も相手にしてくれる人がいないので、とりあえず新卒で入ってきた新人に声をかけている、というわけだ。

僕にとって「師匠」とも呼べる人は何人かいるけれど、それは営業所における「厄介者」ポジションの人たちだった。もちろん、悪い人、というわけではない。単純にくせが強く、やや人間性に問題があるだけだ。
 
一方で、「この人とは絶対に関わりたくないな」というタイプの偏屈者もいる。偏屈者は絶対に自分からは話しかけてこないので、会話のタイミングはかなり遅くなる。

遅いと、一年ぐらい経ってからはじめてまともな会話をする、ということもある。もちろん、会話してもぶっきらぼうなので、「偏屈者」という印象がすぐに変わることはない。
 
しかし、1年、2年と年月が経つと、そういった「偏屈者」が、じつは「誠実な人」である、ということがわかってくることもある。

第一印象はよくないが、実はすばらしい人だった、というのはよくあることだ。要するに、向こうから積極的に話しかけてこないので、わかりづらいだけなのだ。

偏屈者、厄介者、誠実者。だれがそうだ、とは最初はなかなかわからないものの、「話かけてくれた」とか、「人当たりがいい」というだけで判断すると、間違いを犯すことが多いのでは、と。
 
人と関わるときは、なるべく自分からにしたほうがいいような気はしている。

向こうからくる人とばかり関わっていると、結果として厄介者とばかり関わり、誠実者に出会う機会が減るだろうから。

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