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ベーシックインカムは人々を幸せにするか?

数年前からよく話題になっているが、自分の中で納得できないものがある。それは、経済政策としての「ベーシックインカム」である。

僕の友人がベーシックインカム推進派なようで、こないだオンラインで飲み会をしていた時にその話題になったのだが、ベーシックインカムに関しては何ともピンとこない点の方が多いので、歯切れの悪いことしか言えなかった。改めてベーシックインカムについて考えてみたい。



そもそもベーシックインカムとは何か。全国民に一定量の現金を給付することで、社会福祉とする、という制度のことだ。

例えば全国民に毎月10万円を一律で寄付することで、貧困問題を解決しよう、という施策案のことである。

まず真っ先に思いつくのは、「それを実現するための財源はどこから引っ張ってくるのか?」という疑問だが、基本的な考え方としては、「各種手当や補助金、年金、生活保護などに充てている財源を、ベーシックインカムに回す」というものだ。つまり、わかりにくい手当や補助金などではなく、一律で配ってしまうほうが早くて合理的だ、というのである。

先日、YouTubeの動画で経済評論家の山崎元氏がおっしゃっていたのが、「貧乏な人にもお金持ちにも一律に現金を給付するのは乱暴だという見方もあるが、その分、お金持ちからはたくさん税金をとればいい。要は差額で調整すれば良いわけだから、問題は起きないだろう」みたいなことをおっしゃっていた。

確かに理屈で考えればそうなのかもしれないが、なんとも腑に落ちない点がある。

ベーシックインカムがあれば誰でも失敗を恐れずに挑戦できる社会になる、お金のためにやりたくもない労働をする必要性から解放される、という意見があるが、上述のようにベーシックインカムとは、既存の分配システムを刷新したものにすぎないので、国民がきちんと「労働」しないと、そのための税金を徴収できない。ソ連などの社会主義国家が成立しなかったことからも、それは明らかだろう。

再分配のための財源を確保せず、その分余分にお金を刷って渡せばいいのでは、という意見もある。しかしその場合は、刷った分だけ円の価値が希釈してしまい、インフレが起きてしまう。つまり、今の10万円の価値はどんどん落ちてしまうため、10万円で生活することは難しくなってしまう。

少し前にコロナの給付金で10万円が給付されたが、あれは一回だけの措置だったから有効なのであって、継続的に行えばインフレしてしまう。

仮に、ベーシックインカムによって生活が成り立つとしても、いろいろな懸念点がある。そもそも、ベーシックインカムの制度が永続される保証がどこにもない、というのが最大の懸念点である。

給付が永続的に実施される見込みがない以上、安直に今のキャリアから外れてしまうと、いつか梯子を外されてしまうリスクを抱えることになる。いわば、国からの給付に依存してしまう状態である。仮にベーシックインカムが実現したとしても、大半の人はこれまでの生活と仕事を続けることになるだろうと思う。

そもそも、現代の日本社会は生活保護もあるし、餓死はしないような社会システムになっている。そういう意味でのセーフティーネットは、ベーシックインカム以外の形で構築されているものだと思う。

そもそも、現金を給付したからといって、弱者救済になるのだろうか? 現状の生活保護でも、お金が支給された日からギャンブルで全財産をスッてしまったり、飲み食いで消えてしまったりする事例が起きているという。そういう人たちに対して、現金を給付するのが根本的なソリューションになるのか? という疑問があるのだ。

ギャンブルや飲み食いに使ってしまう、というのは極端な例だが、例えば教育や医療はどうだろうか? 子どもの教育のために支給されている分のお金も、分別のない親が使い込んでしまう、ということは十分に考えられるし、医療費を節約するため、ちょっとぐらいの病気は我慢する、ということにもなってしまう。

何より、生活保護受給者を囲い込んで、あの手この手で絞り上げる悪い人たちも世の中に存在しており、ベーシックインカムなどを導入したら、それこそ貧困ビジネスの温床となるだろう。世の中には非常に頭の良い人たちがたくさんいるので、常人ではなかなか思いつかないようなやり方を使って人を「現金化」していくことが目に見えている。セーフティーネットどころか、詐欺師の養分となってしまうことが容易に想像されるのだ。

本来は医療費や社会福祉の費用として与えられるものをベーシックインカムの財源として当て込む場合、ベーシックインカムで支給された現金を、騙されるなり散財するなりして使い切ってしまうと、それこそ飢え死にするしかなくなる。

「自己責任」で片付けてもいいのだが、そういう社会は冷たく、人権を尊重しない社会であるように自分には思える。

ベーシックインカムは、本来であれば状況に合わせて給付していく社会システムを簡素化し、「全員に一律で、平等に分配する」という仕組みである。しかし、すべての人に平等に分配することが、本当に平等なのだろうか? ということである。

ネットでよく出回っている画像。左の図は、全員が全く同じ高さの台に乗っているが、男性にとっては高すぎる一方、男児にとっては低すぎる。右の図は、全員が同じ高さになるように台を配置している。どちらのほうが平等だろうか? ということだ。

現金を配ってハイ終わり、と言うのではなく、最低限の衣食住を保障するようなやり方で人々のセーフティーネットとする方が自分としてはまっとうな社会なのではないか、と思う。現金だけもらったところで、生活が行き詰まっている人が立て直るとはとても思えない。

考えれば考えるほど、ベーシックインカムというのはピンとこない仕組みなのである。どちらかというと、分配する側の事務手続きが簡素化するだけの仕組みなのでは……と思う。現金を配ってるんだから、それでなんとかならないのはあとは自己責任ですよ、という冷たさを感じる。

むしろ必要なのは、必要な人に必要な補助を行うという仕組みではないだろうか。既存の補助金などは申請方法などがとてもわかりにくかったり、そもそも存在を知られていなかったりするため、それらの制度をよりわかりやすく、より簡素に申請できるような仕組みを作るほうが重要なように思う。

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