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「黄泉比良坂にて」 #02

「たどり着けないってことないだろ。だって、あの山だろ?」
 おれは窓のそばに寄って、外を指差した。西側の校舎に隠れてよく見えないが、裏手の山はすぐそこにある。特に高い山ではなく、高校生の足で登れないような高さの山ではない。
「登れなかったって言ってるんだから、そうなんだろ。山頂に繋がる道が途中からなくなってるんだと。それよりもさ、神社だよ。まともに登れないようなところに神社があるって、どうしてなんだろうな?」
「知らん」
 おれはカバンの中に筆箱を詰め、後ろを振り返った。ショートカットの髪を綺麗に切りそろえた西川原は、俯いて、机に視線を落としている。だが、ペンは動いていない。
「西川原」おれは大きめの声で、話しかけた。「テスト、終わってるんなら、今から職員室行くけど。一緒に出してこようか」
 西川原は顔を上げてこちらを見ると、「いい」と短く言い放った。
 おれはほとんど西川原とはしゃべったことがない。クラスの大半の人間が、ないだろう。暗いというより、とにかく、クールなのだ。西川原は、相手の目を見て、言いたいことを端的に言う。切れ長の目で、ストレートに言われると、たじろいでしまうのは確かだ。
 彼女は決して嫌われているわけではない。ただ少し浮いていて、どこか敬遠されているような感じだった。
「あ、そう」とおれは言い、かばんを抱えて教室を出て行こうとした。
 すると、背後から、「ねえ」と西川原の声が聞こえてきた。「神社はね、行く道がないんじゃなくて、行く道がなくなったのよ」
「え?」おれと工藤は振り返る。
「あの山の神社はね、昔からある神社なんだけど、三年前に土砂崩れがあって、そこに繋がる車道がなくなったの。神社に繋がるだけの道だから、復旧工事も遅れてて、まだ塞がったままなのよ」
 それを聞いた工藤は、「へえ、そうなんだ。そういえば、井上たちも、道が途中から通行止めになってるって言ってたな。だから、別の道を探したんだと」
「車道とは別に、登山道があるのよ。車道とは違うところから登る道だから、通行止めのところからは行けないわ」
「へえ、そういうことなのか。にしても西川原、ずいぶん詳しいな?」
「だって、あの神社、うちの管轄の神社だもの」
「そっか、お前の家、神主だったっけ」工藤は言った。工藤は西川原とは同じ中学だから、多少はバックグラウンドは知っているようだ。
「ほら、駅前にある、諏訪神社。あそこの神社だよ」工藤がおれに説明する。
「ああ、そうなんだ。知らなかった」
「神社って、色々他の神社も兼任したりしてんの?」工藤が再び西川原に話しかける。
「神主より神社のほうが多いって言うぐらいだしね。あの神社も、普段は無人。うちが管理してるってだけ」
「そうか。でも、行き方ぐらいは知ってるよな」
「でもね、もうずいぶん行ってないのは確かだわ」
「え?」
「だって、お父さん、あの神社で、亡くなってるから」
「は?」おれと工藤は二人で間抜けな声をあげた。「どういうこと?」
「文字通りよ。お父さん、あそこで死んだのよ」
「……嘘だろ?」
 信じられずに言うと、「嘘よ」と西川原はあっさり認めた。
「嘘?」おれと工藤はまた声を重ねる。
「そう、嘘」
「そうだよな、おれ、今年の正月に、諏訪神社でお前の父さん見たよ。別に普通だったぞ」工藤があっけらかんとした声で言う。
「そうか、嘘か……」
 ここは笑うべきところなのかどうなのか、反応に困った。
 そこで、西川原ははじめて、唇の端を少し持ち上げるようにして、笑った。西川原の笑顔を見たのは、これがはじめてかもしれないとおれは思った。
「怖かった?」
「え?」
「怖かったかって、聞いてるの」
「え、いや、まあ」おれはしどろもどろに答える。
「マイナーな神社のほうがご利益あるって、たぶんそうだと思うな。だってそうでしょ? 大きな神社って、人もたくさん来るけれど、たくさん来れば来るほど、その人たちにご利益が分散しちゃうでしょう。でも、マイナーな神社だったら、来る人も少ないから、それだけご利益もたくさん残ってると思うな。それにね、日本の神様って、少し人間っぽいところもあるから、人が来ない神社のほうが神様も寂しがってるだろうし、効果あると思うよ」
「なるほどなあ」工藤がうんうんと頷きながら言う。「理にかなってる」
 いや、意味がわからない、とおれは思ったが、声には出さなかった。
「行ってみる?」西川原は言った。
「え?」
「その神社に、行ってみる? 私、何回かしか行ったことないけど、道なら知ってるし、案内できるよ」
「行くって、今からか?」
 九月に入ったばかりのこの季節はまだまだ陽が長いし、四時過ぎだから決して遅い時間ではないが、それでもこれから知らない山に登るような時間ではない。第一、なぜいきなりそんなことを言い始めたのかがわからない。
「そうよ」西川原は涼しい顔で言った。

(つづく)


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