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父が倒れた

先週、出張からの帰宅時、中央線に乗っているとき、父の携帯から電話があった。父が自分に電話してくることはかなり珍しい。たまにあったとしても、一年に一度あるかどうかだ。気にはなったが、電車の中なのでその場で掛け直すわけにはいかず、自宅最寄り駅についてから掛け直そうと思った。

駅について、折り返してみたものの、出ない。なんかおかしいなと思い、タクシー乗り場に並びながら実家に電話すると、母が出た。すると、父が出張先(千葉県)で倒れたのだという。

倒れた? 状況はよく飲み込めなかったが、数時間前に倒れ、病院に搬送されたのだという。まだ状況が全然わからないので、またかける、ということだった。

こっちも混乱しながら、偶然駅の近くにいた奥さんと合流し、とりあえずタクシーでいったん帰宅した。続報を待つと、姉から電話がかかってきて、千葉県のある総合病院に父が搬送されたという情報をくれた。とりあえず、母がこちらに車で来るので、先に病院に行ってくれ、ということだった。

時間はもう21時前だったが、奥さんと準備をして、千葉県まで。幸いにも、電車を数回乗り換えるだけで行ける病院だった。日付が変わる少し前に目的の駅に到着すると、父と一緒にいたという取引先の社長が車で待ってくれており、一緒に病院へ。社長は部外者なので病院の中には入れないらしい。自分と奥さんで、緊急外来で手続きをし、病院の中へ。

父が集中治療室に向かうところで会えるということだったので、ベンチで待機。しばらくすると、額を強打して大きく腫れ上がり、意識を失ったままの、見たこともない父が搬送されてきた。

当然、会うといっても向こうは全く意識がないので「見送った」という表現が正しいが、とにかく会った。ドクターと話したところ、どうやら心臓に走っている大きな3つの血管のうち、2つが詰まっており、心筋梗塞を起こした可能性が高いという。

調べてみるともともと以前1つが詰まっていたらしいのだが、別の血管が伸びてきて補っていたらしい。が、今回、その補っていた血管が詰まってしまい、心筋梗塞を起こしてしまった、と。

偶然倒れたときに近くに交番があり、警察官がAEDなどの処置をしてくれたほか、看護師や消防士なども近くにいたらしく、周囲の人々が連携して助けてくれたようだ。それによって迅速な初期対応ができ、後遺症などもおそらくないでしょう、と。

明け方になって母と姉が車で到着したが、とりあえず集中治療室の中に父はいて、意識もないので、面会はできなかった。が、昼過ぎに再度病院に行ってみると、意識は無事に戻り、普通に会話もできるということだった。ウェブ越しではあったが、面会して話してみると、中身はいつもの父だった。顔は目が開かないぐらい腫れ上がっていたが。

自分の両親は70歳を超えているため、普段は健康そうに見えるが、正直いつ何があるかわからないな、と思った。今回だって、たまたま環境がよくて周囲の人々に救済してもらえたからよかったものの、ホテルで一人だったら確実に死んでいただろう、ということだった。これは非常に怖い。

父はこの歳まで病気らしい病気もしたことがなく、健啖家で自分と同じぐらいよく食べるのだが、そんな人がいきなり倒れるなんて想像もしていなかった。昔からやせ型で、肥満でもない。正直、今回の件でかなり肝を潰した。

30代、40代という年代は、こういった「親の老い」に直面する年代なのかもしれない。会社でこのことを話すと、同年代の同僚は確かにそうだ、と共感していた。実際、最近親を亡くしてしまった同僚もいる。祖父母の死は経験があっても、親の死となると、なかなかショックである。

今回は一命を取り留めたわけだが、正直紙一重だったと思っている。こんなにも身近な人のすぐ近くに「死」があるというのははじめての経験だった。

10代、20代のうちの死というのは、なんだか抽象的なもので、どちらかというと概念的なものだけれど、この歳になるとだんだんリアルで、現実的なものになるんだな、と。健康に気を遣うのは早すぎることはない。

インシデントから一週間程度が経ち、父の意識も回復し、先日見舞いにいったところ、普通に普段通りしゃべっていたので、頭は完全にもとの父に戻ったなと思った(差し入れに雑誌の「東洋経済」を買ってきてくれと頼まれた。すでに病室で仕事をしようとしている)。

父曰く、「死ぬのは簡単で、痛みも何もない」とのことだ。それは死に方による気もしているが、死にかけた人からの意見なので、これは貴重である。

今後の経過にも注意しつつ、親孝行は親がいるうちにしないとな、と。

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