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芸術と練習とアートについて

アートの和訳は芸術である。

これは辞書を引いてもそう書いてあるし、大半の日本人がそう認識しているだろう。アートと言うと、現代アートなどの、奇抜な発想によって作られた難解な作品、という印象がある。

日常生活でも、奇抜なものを目にしたら「アートだな」と言ったりする。

でも、例えば音楽などの芸術を実現する場合、ギターやピアノを演奏するためには、長期的な訓練、つまり練習が欠かせない。絵画や彫刻などの芸術にしてもそうだ。

アートには、訓練や練習は不可欠なのだろうか?
 
語源をたどってみると、アート(art)はサイエンス(science)と対比している、ということがわかる。

サイエンスも、今は「科学」として理解されているが、もともとは「知識の体系」のことを指したようだ。それに対するアートは、「技術の体系」。

だから、アートというのは「芸術」とも訳すことができるが、もともとの意味は、技術の体系、つまり「技芸」が近いということになる。

例えば、格闘技のマーシャル・アーツなども同じ語源だ。格闘の技術を体系化したもの、ということ。

実は、アートと語源が同じ単語は結構たくさんある。例えば、アーティファクト(artifact)という言葉は、「技術の体系によって作られたもの」という意味で、人工物を意味する。

最近何かと話題のAIも、アーティフィシャルインテリジェンス(artificial intelligence)の略で、「人工的な知能」と訳される。芸術を意味するアートと、AIの語源が同じというのは、なんだか面白い。
 
でも考えてみたら、芸術を意味するアートにおいても、結局のところ「人間の作り出した技術」を持って「何か新しいものを表現する」ということになるはずだから、結局は「技術を用いた人工物」ということになる。

アートはヒトの手によるものであり、自然界に存在するものでは無いのだから。

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そうやって考えていくと、結局新しいものを表現したり生み出したりするためには、そのための技術を身に付けなければならないという意味で、過去から現在に至るまでに積み上げられてきた体系を自分の中に取り込む訓練、つまり練習をしなければならない。

これは日本語だったら、稽古と言い換えてもいいかも。
 
新しいものを生み出すには過去のものは必要ないと言う人もいるかもしれないけれど、語源までたどって色々と考えていくと、やっぱり過去に積み上げられた技術の体系をまず習得して、その上に自分なりの表現を積み重ねていくのがアートだということがわかる。

そうなると、今一般に捉えられている芸術と言う意味からさらに発展して、過去の技術の上に成立しているものは、何でも「アート」といえるかもしれない。

過去からの体系に立脚しないデタラメは、少なくともアートではない……はず。

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