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なぜ「モラルを逸脱した人」を晒すのか?

なんとなくテレビをつけていることが多いが、民放を見ることはほとんどない。なんとなくNHKを見ている。ただ、日曜日の朝など、NHKでも面白い番組がないときに、消去法的に民放に切り替えることがある。

民放に切り替えても面白い番組は基本的にないのだが、その中でもマシなのはニュース番組だったりするので、そういうものを見たりしている。

NHKと民放では、ニュースひとつとっても作りがかなり異なるような気がしている。NHKの場合は政治や経済の話が中心だが、民放の場合は、ニュースの内容がいわゆる新聞でいうところの「社会面」の記事のような、そういうものに偏っている印象がある。社会的にはあまり犯罪と認識されていないような、個人的な「モラル」の報道なども多い。

僕は新聞を読むときでも社会面の記事はほぼ読み飛ばしているが、個人個人が引き起こした犯罪などの報道は、いったいなんの意味があって報道してるんだろうな、と常々思っている。

こういう犯罪が起きました、ということを社会に知らしめることに意味が全くないとは言わないが、ほぼすべての人にとってはなんの関係もないことではないだろうか。現に、NHKではそういう報道は(民放と比較すると)少ないように思う。

メインの視聴者層が違う、ということがまずあるのだろう。政治や経済の話は、ともすれば遠い世界の話なので、ニュースとして聞いてもいまいちピンとこない人は多いかもしれない。

しかし、社会の上流で起きていることなので、間接的ではあるが、見ている人にも関係はある。そのあたりが、個人の犯罪報道とは違うところだろう。具体的な事件のほうが実感が湧きやすい、ということだろうか。

TwitterやFacebookなどを見ていると、たとえばモラルに反した人や、各種ハラスメント系のことを言及している発言をよく目にする。「取引先にこんな常識のないやつがいた」みたいなものも多い。「モラルをやたらと気にする人」というのは世の中にこんなにいるのか、といつも驚くばかりである。

観察していると不思議に思うのが、いわゆる「マイルドヤンキー」など、社会のルールに縛られたがらないような人に限って、「ルール」をやたらと気にする、ということである。

そういう人たちは、社会のルールに縛られまいという価値観だと思われるのだが、実際のところは、日本国のルールの中で暮らしているのに、さらに仲間や組織のルールにも縛られる、というルールだらけの中で生活している。TwitterやFacebookで、モラルを守らないことを晒されるのも、ある手のリンチ(私刑)だろう。そうやって監視の目を光らせ、ルールを守らない人を制裁しているのだ。

民放の犯罪報道なども、ある意味では「社会のルールを守らなかった人」を晒すことによって、私刑を加えているとも言える。テレビ局の人がそう意図してやっているというよりは、そういう報道をしたほうが視聴率がとれるので、ということだとは思うのだが、奇妙な話である。

人間の本能として、「ルールから逸脱したやつを叩く」というものがあるのだろう。ルールを守る側にとって、ルールを破る人間を糾弾するのは、安全地帯から石を投げているようで、確かに楽しい。しかし、本質的には、あまり意味のないことだと思う。

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