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人は何を見て「笑う」のか?

お笑い芸人として活動しているものの、25年間「売れていない」芸人を取材した動画を見た。

芸人としての収入は月収5万円ほどで、あとは駐車場のバイトを夜勤でこなすことで生計を立てているらしい。もっとも、夜勤のバイト収入が27万円ほどあるということで、それなりに生活費は稼げているようだ。

芸人としての収入が5万円ほどということで、「売れてない」というカテゴリに入るらしい。確かに5万円で生活はできないが、好きなことで5万円でもお金がもらえているだけすごい、という見方もできなくはない。

まったく収入がない状態から、月数万円でも稼げる、というあいだにはたぶんものすごい厚い壁があって、さらにその上となるとそれなりに一発当てないとダメなんだろうな、という気がする。なので、5万円でもすごいことはすごいと思うのだけれど、それ一本で食べていけない、という点では「失敗している」区分けになるんだろうな、と思う。

問題はその生活スタイルにある。動画によれば、仕事以外の時間はほぼ「テレビ番組のダビング作業」に費やしている、ということだ。全録のレコーダーを使って地上波・CS・BSの番組をすべて録画し、お笑い番組の部分だけをサルベージしてDVDに焼いている、とのことだ。

問題なのは時間の使い方で、そのダビング作業だけで休日は7時間を費やし、しかも録画したものも保存しておくだけで、特に見返したりすることもないらしい。「自分を忙しくするためだけの作業」という感じで、なかなかの狂気を感じる。

人間、実は自分が理想とするものを常に体現している、という考え方がある。なりたいものを「目指して」いるように感じても、本当はそれを実現したいのではなく、「目指している状態」が一番心地よく、「現状」がすでに「理想の状態」であるケースが多い、ということである。

この人の姿を見ていると、まさにそうなのかもな、と思えた。この生活は、すでにこの人にとっては理想の生き方なのかもしれない。売れっ子の芸人になるビジョンはなさそうだし、そもそもそういったものになること自体、望んではいないような……。

芸人でもやっていないと、ただの駐車場のアルバイトをしているフリーターになってしまう。それは受け入れられない。なので、「売れっ子芸人を目指す」という状態を維持するために、芸人を続けているのでは、ということだ。ある意味で、それが気楽な生き方なのだろう。

この人の漫才の動画もあがっていたので見たのだけれど、素人目線ながら、まだまだやれることはあるんじゃないかな、と思った。

勝負の世界なので、もちろん誰しもが勝つことはできないのだけれど、やるべきはダビング作業ではないような気がする……。

最近、ホリエモンが「漫才が笑えない」ということを動画で話していた。一発ギャグ的に、「意味がわからないもの」であれば笑えるものがあるのだが、漫才のようなものだと、先が読めてしまって笑えない、というのだ。

確かに同意するところもあるが、違う意見もある。吉本新喜劇などは、基本的には「古典的なお笑い」のみで構成されており、ベタな展開だがしっかり笑える。オチがわかっていても笑える、「安心する笑い」みたいなものもあるのかもしれない。

YouTuberで密かな人気を誇る「ステハゲ」という人がいるのだが、この人の動画は確かに笑えるのだが、なぜ笑えるのか、いまいちわからないところがある。行動が常軌を逸しているので、そこが面白いのかも。

常軌を逸していて面白いという点では、冒頭の芸人もそうなのかもしれないが。冒頭の動画が当たって、知名度はあがったものの、仕事は一切増えていないらしい。

人は常に「常軌を逸していて面白いもの」を見たいと欲する。なので、芸人はその状態を人為的に作り出し、楽しませるわけだけれど、意外と「その人自身が常軌を逸している」というだけでは食べていくのが難しいらしい。

このあたりは、クリエイター全般に共通する気がする。人とは違うことを考えなければ創作はできないが、常識的な部分を備えていないと活躍するのが難しい、と。


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