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調べものがうまい人は、「何が足りないか」をわかっている

何か物事を習得するとき、「自分で学べるようになる」のがひとつのゴールなのかな、と思う。

例えば外国語を学ぶとき、最初は何もわからないので、教科書や教師を頼りに習得していくしかない。しかし、ある程度学習が進むと、たとえば会話の中で「それってどういう意味ですか?」などと質問できるようになり、辞書を引く必要がなくなってくる。

また、文脈の9割以上を理解できていれば、わからない単語が出てきても推測できるようになる。現に、僕はそれなりの日本語の語彙を習得してきたけれど、辞書を引いて学習したものは、全体の比率からするとかなり少ないだろう。たいていは、普通に生活する中で習得してきたものである。ある一定以上の水準に達すれば、教師がなくても自分でどんどん習得することができるようになるだろう。

調べものがうまい人は、「何が足りないか?」をわかっているからうまいのかな、と思う。まず全体を先にイメージして、「本来であればこういうものが必要なはずだ」と思って探し始めるから、見つかるのだろう。漫然と探していたのでは何も見つからないに違いない。調べ物をする前に、仮説を立てるということである。

自分の中に、まず「常識」「基本」といった型があれば、そこから外れたものがわかる。将棋の藤井聡太の手がすごいのは、将棋では常識とされていた格言を無視するようなすごい手を指すからだ。逆にいうと、そういった常識の大切さ、有効性をよく理解している人でないと、すごさがわかりにくい。

その常識が強力であると認めたうえで、さらにその上をいく手を指すから強いのだ。型破りな手は、そもそも型を知らないとわからない、ということである。

以前も書いたことがあるが、僕は世代というものはだいたい30年ぐらいで入れ替わっていくものだと思っている。0歳から30歳まで、30歳から60歳まで、そして60歳から90歳まで。だいたいこの3つのセクションで社会は構成されていると思う。

やっぱり主役は、30歳から60歳までのセクションだろう。ここが中心となって社会を動かしている。30歳までは、その準備期間というか、まだ「修行中」といったところだろうか。

僕はいま36歳なので、2つ目のセクションに入っから6年目である。ただ単に修行していただけの期間から、そろそろ社会の中核に入っていくイメージだ。

基本的に、30歳以下の人々のほうが吸収力が高く、新しい感覚を身につけていると見るべきだろう。つまり「未来人」ということである。30歳以上の人々は、古い情報しか持っておらず、必ずしも最先端というわけではない。

しかし、30歳以上の人たちがもっている、古くて耐久性のある情報を30歳以下に伝えることが大事なのかな、と思う。本当に新しい情報は、自らで学んでもらうしかないのだが、その土台となる古い情報は上の世代から伝えていく必要がある、と。



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