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チャットとコミュニケーション「能力」の進化について

2013年ごろ、中国にいるとき、仕事の連絡があまりにもチャットベースで進んでいくので、「日本でもチャットで仕事をするのが当たり前になれば便利なのに」と思っていたのだが、2015年に帰国してみると、チャットが圧倒的に普及していた。

僕は帰国後すぐに企画営業部という部署に入ったのだけれど、部署のグループチャットがあって、そこで予定やら仕事の連絡やらが活発に交わされていた。今では当たり前の光景だけれど、当時は新鮮に感じたものだった。
 
当時は仕事でLINEなどを使っていたけれど、今では、そうしたツールはまた一層ブラッシュアップされ、slackなどを使ってプロジェクト単位でメンバーが作られ、話し合われるようになった。2020年に入って、テレワークが一般的になってからは、さらにその傾向が強まったのではないか、と思う。
 
でも、こうしたチャットが普及するに従って、ますます「テキスト」というコミュニケーションのあり方について考えさせられるようになった。

というのも、確かにメールと違ってチャットは気軽に打つことができるし、相手からの返信もすぐに返ってくるのだが、それでも実際に会話をすることと比較すると若干のめんどくささはある。返事をしなければならない状況ともなればなおさらだ。

「チャットの文章を推敲する」なんてことは考えたこともなかったのだが、最近はチャットを仕事として使うことが増えたため、ちゃんと推敲してから返すようになった。
 
文章を書くのにはコツがある。まず、文章の体裁や「てにをは」などは一切気にせずに、とにかく勢いにまかせて書いてしまうことだ。同じ表現が繰り返されたりしていてもいいし、結論がないまま書き出してもいい。とにかく、自分が考えていることを、思いついた順番で書き出してしまう。
 
僕が文章を推敲するのは二回と決めている。あんまり何度も推敲していると時間がかかるので、二回だけやるのだ。でも、二回はやるとわかっているので、最初に書く時のプレッシャーは少ない。最初からちゃんとしたものを書く必要はない、と割り切れるからだ。

逆に、ぐちゃぐちゃの文章でも、二回の推敲それなりのものに成形できる「推敲力」みたいなものは身についたかもしれない。文章を書き出す作業と、それを直す作業は異なる脳の場所を使うので、同時並行でやるよりはバラバラにやったほうが効率がいい。


 
いまの時代、コミュニケーションをとるツールとしては、対面・電話・チャット・メールがあると思う。コロナの前は、対面でやったりしていたことが、会うことが物理的に難しくなったことにより、電話やチャットに移行した。

もちろん、メールが重要であることは変わらないのだが、わざわざチャットですむことをメールする必要はないので、メールを送る量そのものはコロナ禍で増えたわけではないのかな、と思う。
 
だから、起きている変化で重要なのは、チャットでのコミュニケーションの取り方のはずだ。チャットというのも、要するにテキストを書き込むわけだから、メールが苦手な人は必然的にチャットも苦手になるのだろう。電話をかけたり、対面で話していたことも、チャットに移行することで、必然的にテキストで起こさざるを得なくなる。
 
チャットで送る文言を、きちんと推敲して、無駄のない文章として送信することができるようになれば、必然的に「話す」ときも内容が整理され、精度があがるのでは、と思った。少なくとも僕に関してはそうだ。

「面倒だから対面で説明しよう」と思っていたことも、チャットで書いて、二回ほど推敲してから送るようになった。

そういう訓練を積んでおくことで、たとえ対面でやることになったとしても、よりわかりやすい説明ができるようになるだろう。


 
テキストでの連絡を求められることによって、ちょっとコミュニケーションの能力があがった、という人もいるのではないか、と思った。そういう実感がないのであれば、いまからでも試してみる価値はあると思う。

メールに書くまでもないことを、短く、わかりやすく相手に伝えられるか、ということだ。 

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