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エッセイが頓挫しました

昨年の冬に文学フリマ東京に行った。文学フリマというのは、文学と称するものであれば何でも出していいという触れ込みの同人誌即売会である。

過去に二度ほど出展者として参加したことがあるが、去年は一般来客として参加してみた。初めから予算を決めておいて、その枠いっぱいに購入した。

本なら本屋に行けばいくらでも売っている。しかし本屋で出す本は「売れなければならない」という宿命を背負っている。作家にも生活があるし、出版社の社員にも生活がある。

どちらかというと作家は兼業でも行けるような気がするが、出版社の人は本を出すことで会社を維持し、飯を食っているので、より売り上げに対してはシビアかもしれない。いずれにせよ、売れなければ話にならないので、なるべく売れるような表紙で、センセーショナルな帯をつけて本は売り出される。

文学フリマは自由な空間だ。もちろん売れたほうがいいと思うけれど、売れなくてもまあいいか、作りたかったんだし、みたいなモチベーションで制作された本がたくさんある。

エッセイというよりはひたすら日々の愚痴を書き続けているような本もあって、もの珍しいので何冊か買った。エッセイはこれまた本屋に行けばいくらでも売っているけれど、ただただ日常の愚痴を書いたものを集めた本というのはなかなかないだろう。そういったものが本という形を持ってこの世に存在してるだけで結構面白い。

ちょっと刺激を受けたので、自分もまた文学フリマで何か出してみたいなと思った。一番本にしてみたいのは自分の小説だが、それなりに長いし、コストもかかるのであまり気が進まない。かといって、こうしてnoteで公開しているものを製本しても芸がない。

なので、note等では公開していないエッセイを書きおろしてみるのは面白いのではないかと思った。このnoteで書いている文章は、あまり自分のプライベートのことを書かないようにしているので、少し自分のプライベートのことを書いた本を出してみるのも良いのではないかと思ったのだ。

インターネットではなく、直接対面で紙の本を販売するのだから、不用意に拡散される可能性も低いだろう。そう思って、毎週一本ずつ、その週にあったことを中心にエッセイを書いていった。

ところが、何週間か続けてみたものの、どうも気が進まなくなり、頓挫してしまった。自分の頭の中で考えていることというよりは、いわゆる自分の身の回りのことを書くのが本当の意味でのエッセイだと思うので、僕は紛れもなくここ数ヶ月はエッセイを書いていたと思うのだが、どうも面白くない。

エッセイストと呼ばれる人のエッセイを読むといろいろと面白いことが日常で起きている気がする。僕の日常では、それほど面白いことは頻繁には起こらない。別に普通の日常を書けばそれで良いのだと思うけれど、自分の身の回りで起きたことを自分で書いていてもあまり発見がないため、書いていて面白くない。

もしかしたら他人が読んだら面白いと感じるかもしれないけれど、自分で書いていて面白くないものを書き続けるほどモチベーションが続かない。なので、結局このやり方だとちょっとあまり気が乗らないなということでやめてしまった。

そんな折、最近じわじわと人気の「燃え殻」さんのエッセイを読んでみた。

なるほど、こういうのが人気のエッセイか、と思った。

まず、圧倒的に読みやすい。どんなに頭の調子が悪いときでも読める内容で、かつ、ひとつひとつが短い。

あと、人との関係性を軸に書いてあるな、と思った。家族、友人、恋人などなど、この人とこういうことがあった、といったことを書いている文章が多い。もちろん人間は個人個人で違う個体なのだけれど、「関係性」というのは誰にでも似通ったものがあって、「共感」するものが多いな、と。読んでいてほっこりするものも多い。

これにプラスして、ちょっとダウナーな「ダメな自分」をそのまま書いているということだ。これはどれだけ正直に文章を書いているか、ということだろう。僕ももちろんダメな自分を書こうと思えば書けるのだが、自分のダメな部分に対してあまり興味が湧かないので、書き続けるモチベーションが維持しにくい。

日々、仕事を含めてかなりの量の文章を書いているが、やはり得手不得手というのはあるのだと思う。僕は自分の日常を書くことが苦手なことはわかったが、逆に自分の日常を書くことしかできない人だってこの世の中にはいるはずだ。

僕は何か考え事をしていて、あ、これは面白いな、点と点がつながったな、
と思ったときに文章が浮かんでくるタイプなので、自分の日常切り取るタイプのエッセイはあまり向いていないのかもしれない。

書く文章のタイプについて、得手不得手がいろいろあることがわかった。あなたはどうでしょうか?

とはいえ、文学フリマまでは、まだ半年以上の時間があるので、何か新しいアイディアが思いついたら何か本を作るかもしれない。今のところは頓挫気味である。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。