見出し画像

川を半分泳ぐ

何か新しいことをはじめるとき、「がんばれ」と応援される人と、「そんなことはやめておけ」と周囲に止められる人がいる。なぜこのような違いが生じるのだろうか。

その人が普段積み上げている信用とか実力といったありふれた要素は置いておいて、少し違った視点から考えてみる。
 
何か新しいことをはじめるときに、それを本当にやり遂げようと考えている人は、誰がなんと言おうがやっちゃうんだと思う。そして、それはしばしば「内緒で」行われる。

人に話した時点で口を出されるのは目に見えてるから、とりあえず誰にも言わずにこっそり始めてしまう。僕は比較的そういうタイプで、これまで自分がやってきたことのほとんどは、基本的には家族には何も言わなかったし、友人にも言わなかった。

創作物なら、できたものをネットで公開したりはしたが、「こういうものを作ろうと思う」みたいな形で、作る前からアナウンスすることはしなかった。本当にそれをやりたいと考えているなら、周りにそれを言う必要はない。誰も知らないのならば、足は絶対に引っ張られない。


 
小説を書いたり音楽を作ったりする程度なら多分誰にも止められたりはしないだろうけれど、もっと覚悟のいる決断の場合はいろんな意見が出てくるものだろう。でもやっぱり、基本的には「すでに始めているかどうか」というのは要素として大事なんだと思う。

何かをやるためにとてつもないお金がいるなら、そのための貯金をすでに開始しているとか、出資者を説得する材料を用意しているとか。あるいは資金がないなりに、できる範囲で既に始めているとか。

「既に行動を起こしているかどうか」というのは「支援されるか、されないか」の判断基準にされやすい。既に膨大な時間、労力、お金を費やしているものに対して、そんな事は無意味だからやめておけとアドバイスする人は少ない。完遂のためにはどうしたらいいか、一緒になって真剣になってくれる人が増えるはずだ。


 
これを抽象的なイメージで考えてみると、川を渡るようなものかなと思った。

川を渡ろうとするとき、泳いで渡ると周りに宣言してから川に入れば、そんなのは危険だからやめておけと「忠告」される。しかし自分の力でどんどん泳いでいき、川の真ん中を通過したら、今度は戻る方が危険なので、「戻れ」とは言われなくなる。逆に、向こう岸にいる人からしたら、自力で半分以上泳いだ後なのだから、「仕方がない。助けてやるか」と手を差し伸べてくれる。

要するに本人の信用とか実力という以前に、実際に行動を始めているかどうか、というのが重要だということだ。
 
企業の歴史を紐解いてみても、いきなり多額の出資を受けて起業した会社はほとんどない。みんな貯金やら知人からの借金をかき集めて、なけなしの金で小さくビジネスを起こし、そこで実績を積んでから巨額の出資を受けてビジネスを大きくしていくということがほとんどだ。

もちろん川を半分泳いだからといって助けてもらえる保証はどこにもないが、考え方としてはとても重要なのではないかと思う。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。