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作家は人に残された「最後の職業」

小説家の村上龍が昔、「13歳からのハローワーク」というプロジェクトを主催していた。13歳が見ることを前提に、世の中にはこれだけたくさんの仕事があるということを紹介するプロジェクトで、本が出版され、ウェブサイト等も展開されていた。

その中で、小説家である村上龍が「作家」の職業について説明している項目が興味深かった。というのも、作家というのは、いつでもなれる一方でそこからの転身が難しい「人に残された最後の職業」だというのだ。なので、最初から作家を目指すのではなく、まずは他の職業に目を向けたほうがいい、という斬新なアドバイスだったのだ。

会社員から作家になったり、タレントから作家になったり、医者から作家になるなど、作家になるまでのプロセスは作家の数だけ存在するが、作家から別の何かになったという例は、政治家がごくわずかにあるだけでほとんど存在しない、ということだ。

確かに、小説で食えなくなったので三菱商事に入社しました、という例は聞いたことがない。普通の会社員だって、あまりいないのではないだろうか。

僕は新卒として就職してから最初の1年はトラックドライバーとして働いていたが、入社してくるおじさんの中に元漫画家の人がいた。聞くと、漫画で食えなくなったので、トラックドライバーになったというのだ。その意味だと、トラックドライバーこそが「最後の職業」のような感じもするが……。

まあ、真に最後の職業かどうかはさておき、作家や小説家や漫画家と言われる類の職業は、そういう仕事だと認識することが必要だということである。極端な話、刑務所の中でだって作家になることができる。

しかし、作家になりたいと思っていた自分としては、なんて夢がないのだろうと学生のときは思っていた。

僕は日々読書をしているが、硬い本ばかり読んでいると肩が凝ってしまうので、時々読みやすそうなライトな本を手に取ることもある。

その中で、電気メーターの検針員の方が自分の仕事について書いている本を見つけたので、暇つぶしに読んでみた。

電気メーター、水道メーター、ガスメーター。世の中にはいろんなメーターがあるが、そのメーターが律儀にくるくる回っているのは、それを目視で確認して記録する人がいるからだ。

そういった仕事に従事している人は非常に大変な仕事をしている。真夏は塩を吹くほど汗をかきながら、一件あたり40円の検針を、朝から晩まで数百件こなす。しかも会社員ではなく業務委託という形でやっているので、犬に噛まれたり、塀から落ちて怪我をしたりしても全て個人の責任である。

ときには命を落とすこともあるらしいが、何の保証もない。悲惨な仕事である。

検針員の仕事の紹介と、それに伴う珍エピソードが書かれているのだが、中盤あたりで、どういう経緯でこの仕事をやることになったかについても触れられていた。もちろん最初から検針員を志していたというわけではなく、もともとは外資系企業の会社員だったが、40過ぎて早期退社し、作家を志して、会社員をやめたのだという。

その結果、同居していた女性に逃げられ、独身のまま検針の仕事をするようになった、と。しかし、スマートメーターの普及によって、10年勤め上げたのちにクビになってしまった、という結末である。

文章を書くと言うのは、基本的には楽しいことだ。世の中は不思議なことに、内容にかかわらず小説を手当たり次第に読む人はあまりいないのに対して、小説を書いてみようと考える人はやたらといるらしい。

僕の知っている中でも本を読む人というのはかなり少ないのだが、小説を書いてみたり、あるいは小説を書いてみたいと思う人は、それなりの数に及ぶ。もちろん、ちゃんと完成させて、新人賞等に公募で出すレベルで情熱を持ち続けられる人はさほどいないのだけれど、とにかくそういうことをやりたいと思う人はそれなりにいるということだ。

仕事をする上で一番のストレスは、人間関係だという。付き合いたくもない同僚と机を並べ、たいした能力もないと思われる上司から怒鳴られ、理不尽としか思えない顧客に頭を下げる。そういったことが嫌で、自分で書いた文章だけでご飯が食べられたらどんなにいいだろうかと思う人はそれなりにいるらしい。

しかし、前述の通り、この世界は完全に需給バランスが崩れている。「書きたい」と思う人に対して「読みたい」と思う人が非常に少ないので、基本的には職業としてあまり成り立たない。

また読みたいと思う人も、「どんな人の文章でもいいから読みたい」と思う人は非常に稀で、基本的にはせっかく読むのであれば完成度の高いものを読みたいと思うので、何の賞などの箔付けもない人が文章を発表したところで、それを読んでくれる稀有な人は非常に限られることになる。

そんな理由で、小説家として生計を立てていくのは非常に難易度が高いのだ。

作家が最後の職業だというのは、目指す人にとってはいかにも希望がない話ではあるが、最初から「片道切符だ」というのを自覚した上で行くというのであれば、それはそれで良いのではないだろうか。

今はいい時代になったもので、あえてそれ一本で食っていくと言う決心をしなくても、何かの仕事をしながら小説を書く事は容易である。それを発表する場もある。たくさんの人に読んでもらうのは非常に難しいが、発表して誰かに目を通してもらうことは簡単にできる。Kindleなどの仕組みを使えば、ノーコストで流通させることだってできる。

基本的に作家になりたいという欲望は「現実逃避」として使われるので、簡単に実現できてしまうと、それはそれで不都合があるのかもしれないが。ただひとつ言えることは、作家になるには資格などが必要なわけでもないので、自分が作家だと言えばもうそれで作家なのである。


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