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「制約」が生んだ、失われつつある技法

奥さんに、「クオータービューっていいよね」という話をしたのだが、あまりピンときていないようだった。クオータービューと聞いて、ピンとくる人はいるだろうか。わりと普通に認識されている概念だと思っていたのだが、そうでもないらしい。

クオータービューとは、たとえば以下のようなものである。

https://twitter.com/ryo620org/status/1004011557842382848/photo/3

昔のドット絵のゲームなどで採用されていた描画技法だ。ドット絵のゲームの場合、大半はフロントビュー(正面から見たもの)だが、クオータービューは斜め上からドット絵を描写しているのが特徴である。

正面からだと、「高さ」の表現ができないため、のっぺりした印象になるが、クオータービューであれば高低を表現することができる。開発に手間がかかるのか、「高さ」をわざわざ表現する必要性が限定的だからなのか、ドット絵のゲームとはいってもごく一部の作品にしか採用されていなかったようだ。

ファイナルファンタジーシリーズの外伝的な作品で、「タクティクスアドバンス」という作品があるのだが、このクオータービューを用いており、高低差なども折り込んで作戦を立てる必要があり、戦略性が求められて面白い作品だった。

https://www.jp.square-enix.com/game/detail/ffta/

「クオータービューっていいよな」と感じる理由は、この作品によるところが大きい。最初は、単なるドット絵が気持ちいいのかと思っていたのだが、よくよく考えると、クオータービューというのは「絵としてかなり変」なのである。

絵画の世界で、「遠近法」という技法がある。「技法」というか、現実世界の場合は遠近法が適用されるので、現実に即した描画技法、ということになる。

https://www.rikcorp.jp/contents/enkinhou/

こういうふうに消失点があり、近くのものほど大きく、遠くのものほど小さく描かれる。

日本の浮世絵などは、いわゆる西洋的な遠近法が適用されないことで有名である。代表的なのが奥村政信という絵師の描いた「芝居浮絵」という絵だ。

西洋的な遠近法ではないため、消失点などがめちゃくちゃだが、不思議な臨場感があるのが特徴である。見ていると、「だまし絵」のようにも感じる。

https://ameblo.jp/bf-art-gallery/entry-12680640911.html

クオータービューというのも、遠近法を適用していない描画技法なのである。まず、どこまでいっても、ひとつのマスは同じ大きさで、遠くになるほど小さくなる、ということはない。すべて同じ大きさである。

したがって、消失点がなく、遠近法を用いないロジックで描画されていることになる。この性質のせいで、浮世絵を見るときのような不思議な感覚を生んでいるのかもしれない。

現実世界の風景を、なんとかモンタージュして、この「クオータービュー」の考え方で描画できると面白いかな、と思った。ドット絵を立体化したものは、たとえば「マインクラフト」などがあるが、マインクラフトはオブジェクトがドット絵であるというだけで、ちゃんと立体感があり、遠近法も採用されている。なので、この「クオータービュー」という概念とは全然違う、ということがわかる。

https://miraigotolab.co.jp/column/3151/

少し考えてみて思ったのだが、クオータービューという技法は、そもそも「平面」しか表現していないのではないだろうか。つまり、完全な立体表現ではない。本質は平面で、地図や設計図のような図面なのだが、そこに「高さ」の情報をもたせ、斜めから描画しているにすぎない、ということになる。

しかし、そこになんだか騙し絵的な不思議な浮遊感があり、面白さにつながるのだろう。

ドット絵の表現がそもそもそうなのだが、かつては計算処理のマシンスペックの観点から、ゲームにおいて「遠近法を用いて、立体的に」表現することができなかった。なので、苦肉の策として「クオータービュー」という概念が生み出されたと思うのだけれど、それがなんとも現代アートに近いようなものと仕上がっているというのが興味深い。

「制約」から新しい芸術が生まれる、ということだろう。逆に現代は、マシンスペックが上がりすぎて、こうした制約がないため、新しい技法は生まれにくくなっているのかもしれない。

このクオータービューの考え方を用いて、自分の住んでいる街などを表現してみたら面白いかな、と思った。制約された状況が生んだこの技法を残すのはどうしたらいいか、と。


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