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本当に革新的なものって、「誰もみたことがないもの」ですか?

先日、新規事業をどう発想したらいいのだろうか、というテーマで記事を書いた。

とにかくアンテナを張って、日常の中から不満や改善点を見つけ出し、それをベースに新しいことを発想していけばいい……、と考えていた。まあ、確かにそれが有効な場合もあるのだろう。この世に出てくる新しいプロダクトというのは、基本的にはそうやって生まれてくるようにも感じられる。

しかし、いま通っているビジネススクールで、その考え方だけではまだまだ甘いということを教えられた。それについて少し考えてみたい。

新しい事業を構想するうえで、本当に新しいことを発想するのは至難の業だ。なので、よく「既存のものを組み合わせることで新しいものが生まれる」と言われたりする。

確かにそうかもしれないが、こんなことにも同時に気が付く。「誰か、先にそれを試した人はいなかったのか?」と。

日常生活を送るなかで発想したことで、自分だけがそのアイデアを思いつく、といった都合のいいことはそうそう起こりそうにない。いや、控えめに言って、ほぼ確実にないと思っていいだろう。

そもそも、誰も思いつかない事業アイデアってなんだろうか。そんなものは本当に存在するのか。そんなものが存在するとしたら、それはただ単に「誰にも必要とされていない」だけのことではないのか。

全く市場がないところから新しく市場をつくるというのは至難の技である。そもそも、それが存在していることをほとんどの人が知らないし、その良さを理解している人はもっと少ない、ということだろう。

手にとってみれば「いい製品だ」ということがわかったとしても、事業が成立するぐらい行き渡らせるためには、どれぐらいのコストを払わなければならないのか。そして、だんだんと普及しはじめたときに、ライバル会社がそれを真似して、まるごとかっさらっていったら? 

新しく事業を構想すること自体が非常にハイリスクで、ローリターンな気がしてくる。というか、そもそも人々に必要とされるかどうかも不明なので、ただのギャンブルだともいえる。

では、どう考えていけばいいのか。簡単な話だ。すでに成熟している市場を狙うのである。すでにプレイヤーがあらかた出揃い、飽和している市場に対して、新しい切り口で商品を投下し、その市場の客をすべてかっさらってしまえばいいのである。

そうすれば、新しく市場をつくる必要はないし、すでにそこにいる人々が顧客になるのだから、自動的にビッグビジネスになる。こんなに美味しい話はない。

既存のサービスを展開している企業は、サービスが成熟すればするほど、方向転換が難しくなる。技術・人員・在庫が集中し、小回りがきかなくなるからだ。そこを狙う。

その目線で考えてみると、世の中をひっくり返した製品というのは、そういう目線で設計されたものが多いことに気づく。代表的なのはAppleのiPhoneだろう。今ではスマホは一般的なツールとなり、誰しもが使っているほど普及したのだが、そのブームの先駆けとなったのがiPhoneだった。

ここでそのネーミングに注目してみる。iPhoneというのは、Apple製品のiMac、iPodなどと同じようなネーミングで出てきた製品ではあるのだが、これはあくまでphone、つまり「電話」だとうたっている。

しかし、iPhoneを電話のみの用途で使っている人がどれだけいるだろうか。スマホは要は小型のパソコンであり、ネットをしたり、ゲームをしたり、アプリで決済をしたりすることなどに使う。電話は、そのいろんな用途の一部分にすぎない。しかし、iPhoneはネーミングの時点で、あくまで「電話だ」と言い張っているのである。

これはどういうことかというと、Appleは「電話」を作りたかったのではない。彼らが欲しかったのは「電話の市場」だったのである。

携帯電話を持っている人が、次に「代替え」するときの候補にしてもらうため、「電話だ」と言い張ったのだ。Appleの新製品なら絶対に買う、と決めているガジェットマニアならまだしも、そのへんのパソコンも持っていないような人は「スマートフォンだ」などといって新しいものが世に出てきても、手に取ろうとは思わないだろう。

しかし、あくまで「電話」と言い張っているので、電話なら、じゃあ最新のものにしてもいいかな、と自然に買える。買ってみたら、なんだ便利じゃん、電話のつもりで買ったけど、ほかにもいろいろ使おう、となる。それで爆発的に普及したのだ。

そのかわり、従来のいわゆるガラケーは急速に衰退してしまった。

真に革新的なものは、既存の市場を違う切り口から提案するものである。それでなければ、すでに形成されつつある市場に対して違うアプローチをとるものになるだろう。

最初から、ゼロから生み出すわけではない。ゼロから生み出すのはコストがかかりすぎる。なので、その製品を投入するタイミング、つまりマーケットをどう解釈するかということが大事になる。

これは面白い発想だと思った。あなたはどう思いますか?

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