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「一丁上がり!」の小説

今年は読む本の半分を小説にしようと決めたので、結構頑張って小説を読んでいる。本屋で買ってくることもあるし、図書館で借りることもあるし、Kindleで電子書籍を買うこともある。あまり媒体にこだわりはない。

近年は小説を読む量が減っており、最近の人気作家の本に疎くなっていた。本屋に平積みされている本は基本的に人気作家の本だ。

無名の作家の小説は基本的には出版すらされない。もともと編集者の人で、自分で書いた小説を知り合いの編集者に見てもらった、というエピソードを思い出した。

作品を読んだ編集者は、「この作品は素晴らしいけど、うちでは出せない」と言ったそうだ。なぜなら、無名の作家の本は、間違いなく売れないから、らしい。

つまり本を出すためには、そもそも有名である必要があると。最近だとSNSのフォロワー数が10万人いないと本を出してやらない、と言う出版社もあるらしい。

作家側からすると、最初は誰もが無名なのだから、無名な状態でデビューできないというのは八方塞がりじゃないかと思うのだが、出版する側の論理を考えてみると、一理はある。無名の新人作家の本はどれぐらい売れるのか、本当に読めないので、そんなリスクを負えない、ということなのだろう。

だから新人作家への登竜門として文学新人賞というものがある。文学新人賞は当然、まだ世に出ていない無名の作家がその対象となるわけだが、その「賞の読者」は一定数いるはずで、この賞をとればこれぐらいは売れそうだ、みたいなざっくりとした見通しが立てられるのではないかと思う。

芥川賞なんかはその代表だろうか。もちろん芥川賞の中でも売れる作品とそうでない作品があるが、「最低でもこれぐらい出るでしょう」みたいな見当はつくのではないだろうか。

しかし当たり前だが、「有名でないと本が出せない仕組み」は作家の不均衡を生む。つまり人気作家は人気があるから売れるのでどんどん本を出してくださいと言われるようになるが、その逆はない。

僕があまり大衆作家の書く本を好まないのは、明らかに粗製濫造というか、ほとんど取材や下調べもせずにプロットを組み上げ、本文を書いてしまうような作品が多いからかもしれない。

先日、人気作家による社会派ミステリー作品を読んでみたのだが、お話としてはよくできているものの、根幹の部分での取材不足が感じられたので、そこまで良い読書体験とは言えなかった。少しそれについて言語化してみる。

社会派ミステリーなので、ミステリー部分の謎解きがありつつ、その背景となる社会問題があるわけだが、どうもその部分がずさんなのである。現代日本でこんなことは起きないでしょ? と思わずツッコミたくなるような描写が続いたので、レビューを見てみると、確かにそういったツッコミで溢れかえっていた。

その人の執筆ペースは凄まじく、何本も締め切りを抱える中で作品作りをしているわけだから、そういったクオリティになってしまうのは仕方がないことなのかもしれない、と思った。

専業作家というのはいくらでも時間を小説に注ぎ込めるから、質の高い作品が作れるだろうと単純に思っていたのだが、現実はそうでもないようだ。むしろ依頼が次々にくるので、品質を犠牲にしなければならないこともあるのだろう。

読んでいて感じたのは、人気作家は話の構成が非常に巧みだということだ。読みやすくて、最後にあっと言わせる仕掛けがある。だからラストまで読むと「騙された!」みたいな気持ちになり、痛快な気分になるのだが、今回はこの感覚をうまく自分のエンターテイメントとして消化できなかった。

なんというか、作者の「これで一丁上がり!」みたいな顔がちょっと見えてしまい、満足できなかった、というのがあるかもしれない。本当に「これで一丁上がり!」という顔をして書き上げたかはわからないが、悪い表現でいうと、「小手先で書いたような感じ」がして、魂がこもっていないような気がしたのだ。

小説にもいろいろあって、単純明快で面白い小説もあれば、難解で何が言いたいのか全然わからない小説もある。どちらも一長一短で、一概にどちらがいいとは言えないが、作者が事前にプロットを練って「この小説はこういうところに仕掛けがあるから、読者をあっと言わせることができます」みたいな感じで説明できてしまうものだと、この「一丁上がり!」感は拭えないのでは、と思った。

作者自身にもわからないモヤモヤとした部分があるからこそ、作品に深みが生まれるのではないか、と思う。

苦しみながら書いた作品が常に良い作品とは限らないが、作者がもがきながらテーマと向き合い、書き上げたものは読者も読みながら考えることができ、それが作品の質へとつながっていくのではないかと思う。

よく「考えさせられます」という何も考えていないような感想を言う人がいるけれど、とはいえ本当に価値があるのは「考えさせられる作品」なのである。

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