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「黄泉比良坂にて」 #42

 結局、三人で歩いて川の中を移動し、中州にある岩場に登った。もちろん靴の中は完全にぐしょぐしょだし、服もシャツの上半分を除いてはすべて水に浸かっていたのでびしょ濡れだった。それは西川原も同じで、岩場に登ると、おれたちの見えないところでスカートの裾を絞っていた。
 全身がずぶ濡れだったが、不思議と寒くはなかった。ここの気温は、元いた世界とだいたい同じで、まだ夏の暑さを残している。
「どうするんだろうな、あいつら」
 おれと工藤は並んで岩に腰掛けながら、川辺に立っている式神を見つめた。水の中には入って来れないので、さきほどと同じように並んで突っ立っている。
「あ、ホラ、少しずつだけど、倒れていってるよ」
 いつのまにかおれたちの隣に来ていた西川原が川岸を指差しながら言った。見ると、ただ黙って突っ立っている式神たちの一部が、少しずつ倒れ、ただの白い紙切れへと変わって行く。その紙切れの中から、様々な色をした人魂が飛び出した。紙から抜け出した人魂は、ふたたび空中を虫のように浮遊し、川の水面へとおどり出る。
「たとえ紙とはいえ、質量があると飛べないんだな」工藤がしみじみと言った。
「なんだよ、それ」おれは思わず笑った。こんなところでする話だろうか。
「言葉の通りだよ。ただ、納得しただけだ」工藤は口を尖らせる。
 西川原はそんなおれたちのやり取りを無視して、じっと式神たちを眺めていた。どれぐらいそうしていただろうか。気付くと、川の対岸にいた式神たちは全員が抜け殻のようになり、対岸の地面に転がっていた。
「秋川さんたちも、こうしていればあいつらの襲撃をかわせたんじゃないのかな」とおれは言った。
「ずっとこんなところにいるわけにもいかないだろ、いくらなんでも。あと、式神たちは無限に湧いてくるんじゃないのか」
「無限には湧いてこないだろ。ここにいる魂にだって限界はあるわけで」
 そんなことを話していると、式神から離れた人魂たちは次々に浮遊して、こちらに向かってきた。あっという間におれたちは取り囲まれる。
「やばいんじゃないの、これ」
 工藤が言ったが、西川原は「じっとして。別に、騒がなければどうってことないわ。だって、あんな式神たちを使うってことは、この人魂単体では何もできない、ってことだと思うから」
 人魂たちはおれたちを中州ごと取り囲んでいたが、確かに、近づいてくるだけで何をするわけでもない。だが、この人魂それぞれは元々は人間で、まさにそれが先ほどまで目にしていた紙に乗り移った人魂なのだが、もちろん顔は全く見えないがもともとの人間だったときの表情が透けて見えるような気がした。ただの虫とは全然違う。まるで、自分の魂、自分の内側まで覗かれているような、そんな居心地の悪さ、気持ちの悪さを感じた。
「気にしないのが一番だな。おれはもう目をつぶる」
 工藤はそう言って、目を閉じた。おれもそれにならって、目を閉じる。視界が暗くなり、何も見えなくなった。川の流れる音が断続的に耳に届いて、心地良い。
 いつのまにか、おれと、工藤と、西川原は、三人で寄り添って、短い眠りについていた。意識のスイッチを不意に切られたような、唐突な眠りだった。
「おい、水量が増えてるぞ」
 工藤の声で目が覚めた。気付くと、中州の岩場がさっきよりもだいぶ小さくなっている。おれたちは立ち上がった。川の流れはさっきよりも強くなっている。
「向こう岸まで、渡るしかないよな」
「渡ってどうする?」
「戻るしかないだろ、秋川さんの家まで」
 おれはそう言い、真っ先に川に飛び込んだ。先ほどまでは膝上ぐらいまでしかなかった水量はいつの間にか増えて、腰の上ぐらいまであった。また、水の温度がさっきよりも明らかに冷たい。服が乾いて、熱を奪った身体にはかなり堪える寒さだった。(つづく)


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