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うわべを見破る抽象思考

世の中を見ていると、物事を具体的・直感的に考える人がほとんどで、「抽象思考」ができる人ってそんなに多くないのかな、という感じがする。

頭のいい人は漏れなくこの「抽象思考」ができるのだが、意識的にできる人は少ない。少しこれについて考えてみる。
 
高度な思考とは、抽象思考ができることだと思う。しかし、この「抽象」という言葉が、あまり印象がよくない。「この部分が抽象的すぎるから、もっと具体的に話せ」などと言われたことがある人もいるだろう。

抽象的とはよくないことで、具体的であればあるほどいい、と勘違いしてしまう要因のひとつだと思う。


 
人間が同時に認識できる数は7つまでだ、とよく言われる。突然ランダムに単語を提示されたりすると、7つぐらいまでしか覚えられないらしい。心理用語で「マジックナンバー7」などと言われる。

僕も、だいたい同時に認識できるのは3~5個ぐらいがせいぜいだ。なので、ものを考えるときは、意識的にこのぐらいの数の要素に収めるようにしている。
 
すべての物事を、3つから5つまでの要素で割ってみる。まずはざっくり、大きく3つぐらい。そして、割ったものをさらに細かく。細かくなったものをさらに詳細に。そうやって、思考を「階層化」していく。

そうすると、物事の全体像が掴みやすい。ポイントは、要素が7以上になると「わからなく」なってしまうので、7以上の要素で考えない、ということだ。
 
例えば僕はいま東京都武蔵野市に住んでいるが、全国の自治体の中からこれを探すにはどうしたらいいか。全国の自治体数は1724もあるらしい。まずはざっくり、「日本」を「北海道・本州・四国・九州」に分ける。

すると、本州だとわかるので、次に「中四国・関西・関東・東北」などに分ける。そうやって分類していくと、日本→本州→東京都→西側→……となり、簡単に武蔵野市に辿り着ける。

「本州」あたりだとかなり抽象的だが、階層化することで、瞬時に絞り込めるわけだ。
 
生物の分類なども、このやり方を採用している。ヒトも、より上位概念に分類していくと、ヒト科、哺乳類、脊椎動物、多細胞生物……とどんどん抽象化することができる。ポイントは、「哺乳類」や「脊椎動物」などの概念は自然界には存在しない、ということだ。

自然界には、一個一個の個体が存在するだけなのだが、生物学者が、本質を見極め、共通点を見出し、「哺乳類」や「脊椎動物」などの概念を生み出した。抽象思考の叡智がなせる技と言えるだろう。
 
問題解決は、抽象と具体を行ったり来たりしながら行う。例えば、「先月の家計が赤字だった」という問題があったとする。そこで、使ったお金を、家賃・食費・生活費・エンタメ費などに分類してみる。食費に問題がありそうだとわかったら、さらに細かく見ていく。

すると、朝晩にドリンクをペットボトルで買っていたのが過剰なコストだったとわかる。なので、ここのコストが削れそうだとわかる。朝晩、ペットボトルでドリンクを買う以外の選択肢を考える。すると、自宅から水筒にコーヒーを入れていく、という解決法が浮かびあがる。というような具合だ。

単に、一ヶ月分のレシートをひっくり返して、どこを削るか考えたとしても、問題の焦点が定まらない。最初から細かくみるのではなく、全体を大枠で、ざっくりと問題の場所を見つつ、細かいところに焦点を合わせていくことが大事だ。


 
おそらくどんな人でも、一切抽象思考ができないというわけではなく、上記の例などのような単純な問題なら直感的に対策を思いつくはずだ。

しかし、複雑に絡み合った問題を解決するためには、具体的に起きている物事を階層化・抽象化することで、「この要素とこの要素は実は独立していて、相関関係がないな」といったことが分析できたりする。そして、切り分けた問題をさらに細かくして……とやっていくと、解決方法を思いつくことができる、と。
 
抽象化のメリットは、「一見すると関連性のないものでも、抽象化すると関連性が発見できる」というところだろうか。以前、岡田斗司夫が動画で語っていたのが、「肉じゃがとカレーは、抽象化すると同じだ」と言っていた。つまり、カレールウを入れるか入れないかの違いしかない、というのである。抽象化すると、見た目ではなく、本質を捉えることができる。
 
抽象思考は、それそのものが問題解決方法というより、思考を階層化し、本質に迫る「目」を手に入れる、ということだろうか。物事の本質を見極める上で、うわべだけのまやかしをみやぶることができること、かもしれない。

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