見出し画像

料理の常識を知らない……

これまで料理にほぼ関心がなかったので、普通の人が普通に知っている程度の知識がなかったりする。例えば、日本食には出汁をとる文化があるが、そもそも出汁とは具体的に何を指すのか、というのがあまりよくわかっていなかった。

例えば、昆布で出汁をとる、という行為そのものは知っていたが、具体的にどういう原理で、何を抽出しているのか、というのをよく知らなかった。魚が切り身の状態で泳いでいるとは思っていないが、典型的な現代っ子である。

出汁をとる、というのは要するに、植物や動物にある「うま味成分」を、煮出して抽出する、ということらしい。それはわかるのだが、なぜ「煮出すだけ」でそれが抽出できるのかわからない。なぜ昆布は海中に生息していたものなのに、生きているあいだは出汁がとれないのか、という当然の疑問が生じる。

調べてみると、「生物が生きている間は細胞がプロテクトしているのでうま味成分が出てこないが、死ぬと障壁が壊れ、にじみ出てくる」とのことのようだ。つまり、出汁とは、「動物や植物の死骸から出てくる汁」ということになる。こう書くと食欲がなくなりそうな表現だが。

日本食は出汁を基本としているため、自分で調理をしなくても、そういう味に日常的に触れていることになる。しかし、外国にいくとその常識が根本から変わってしまう。

例えば、数年前は仕事でバングラデシュによく行っていたのだが、ああいうアジアの国に行くと、だいたい一週間ぐらいもすれば現地の食べ物が嫌になってくる。おそらくだが、「味の基礎」が根本から異なるので、本来身体が必要としていた栄養素が摂取できず、嫌になってくるのだと思う。

あちらは出汁をとるという分化がなく、基本的には多種多様なスパイスで味付けをしていくため、ただ単に味が辛いだけで、扁平に感じるのだ。日本で展開しているインド料理屋などはあまりそういうのが気にならないが、おそらく日本人向けに味をアレンジしているのだろう。

しかしそうなると、今度は別の疑問が生まれる。今のように流通が全国どこでも大差ない時代であれば出汁に差はないだろうが、明治以前は地域差によって異なる出汁が使われていたのではないか? と。

調べてみるとまさにその通りで、だから関東と関西では味が違う、ということに繋がっていたようだ。

江戸時代の海産物はまず大阪に集まるため、大阪では昆布がよく使われたが、江戸ではなかなか流通してこないので、手軽に手に入る鰹節を使った、と。

となると、今度はまた別の疑問も生じる。鰹といえば現代では高知の土佐が有名だけれど、当時はもっと全国的にメジャーだったのか? や、どういう過程で鰹節を製造するに至ったのだろう? と。

調べてみると、西暦700年代にはすでに鰹を煮出した調理法は知られていたが、その後大豆を中心とする調味料に置き換わったものの、室町時代にふたたび鰹節の技術が確立され、今に至る、と。

真偽は不明だが、西暦700年ごろはそうとは知らずに「鰹の出汁を使った調理法」が一般的だったが、いったん別の調理法がメインに移行していったものの、「鰹の出汁が忘れられずに」戻ってきた、という説があるらしい。

食文化を流通の視点で振り返ると、なかなか面白い。こうした「地域差」がありつつ、当時の人が、どのように創意工夫をして必要な栄養源を確保していたのか、というのが浮き彫りになる気がするのである。

理論と実践という観点でいうと、料理の歴史は、まず実践ありきだったのだろうな、と。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。